「ラオ。」 「……あぁ?」 「森だわ。森が見える。」 カタン、コトトン……。 貸し切った瀟洒なコンパートメント。 向かい合う3人掛けのソファ。 木枠が軋み隙間風の糸のように入り込む大きな窓。 コリドー(通路)と隔てる扉はコンパートメントに向かい右開き。 その窓にはブラインド。簡易錠はオン。 西に向かい走り続ける列車。 少女は進行方向を背の窓際の席に、その瞳を一心に車窓の外に まるで流れゆく景色を惜しむかのように見つめやまない。 男は少女と同じ側の、扉に一番近い場所に席を取り いかにも倦気に長い脚を前のソファに投げ出して まどろむように目を綴じている。 このままで、一体どれだけの時が流れただろう。 「あぁ、森な……。この先ご遠慮願いたくなる程見られるぜ。」 突然の少女の呼びかけに一片の興味も示さず 男は只だるそうに応えを返す。 「……かな。」 独り言をつぶやいたかの少女の声は 車輪と線路のリズムを刻む音にかき消され、男の耳に届かない。 「あぁ?」 「……いるのかな。」 「何が。」 「……虎……。いるのかな……この森に……。」 ちらと視線を少女に遣るが、少女のそれは変わらず一心に窓の外。 「いるんじゃねぇか……。 この辺りは確か世界で最もでかい虎の生息地の筈だ。」 「そう……いるのね……。」 カタン、コトトン……。 男は嘲るように軽く溜息をつく。 虎がどうした……虎狩りでもした昔を思い出すのか。 全くお貴族様御令嬢の脳味噌回路ってのはつくづく訳が分からねぇ……。 あの日、あの時の俺は確かにどうかしていた。 この国には数年前にクーデターが勃発した。 事実上の貴族制度廃止を始めとして 国それ自体がいまだ政情不安に揺れ続けている。 吐き出された元貴族達の末路は言わずもがな。 他になす術もない女達の、つい昨日まで蔑みの対象より他になかった 成金男にしなだれる姿を四つ星以上のホテルのロビーに見ない日はない。 その中には未だ少女の面持ちを残す者も決して珍しくはなかった。 こいつもそんな中の一人……そう思っていた。 雇い主に指定された、週に一度大陸横断列車の発着する駅前ホテル。 到着してより十日以上を数える今日まで そいつは此処のロビーに居た。いつも、毎日のように居た。 あの日俺はようやく任務を完了。国際電話でボスに報告。 クロークで鍵を譲り受けた後はもう只安堵と疲労の塊だった。 リフトに乗るなり壁にもたれかかり溜息さえついたもんだ。 そのドアが閉まる寸前にするりとそいつは入って来た。 「あの……。」 傍で見るそいつは、遠くに眺めていた時より余程幼く見えた。 「聞いていただきたいお話があります。」 ほぉ、そう来たか。俺はもう少し育った方が好みなんだがな。 「メシは喰ったか。」 「……え?」 異常な程に澄んだブルー・アイズがきょとんと円くなった。 暗いリフトの電灯下にそれはまるで猫の目のようだった。 「俺は今腹が減って死にそうなんだよ。 部屋に頼んだオーダーを、何なら二人分に増やす。 話を聞くならその後だな――どうだ、付き合う気はあるか?」 これで恐れをなすだろうと、まぁこれが目測誤算の第一って訳だ。 ……こいつは正真正銘のお貴族様だ。 まるで呼吸でもするように自然で流麗なテーブルマナー。 ボスにタバコの火を押し付けられ躾られた俺の付焼刃とは訳が違う。 ……手の小刻みに震えるのは、それは責めるに気の毒ってもんだ。 「で。話と云うのは何だ。」 ラストワインを一気に流し込み、俺は口火を切った。 そいつは冷えた水をこくりと飲んで、そうして静かに話し始めた。 「美味しいお食事を御馳走さまでした。 失礼ですが、最初にお聞かせ頂きたい事があります。」 そうして俺の母国、明日の列車での帰国を確認の後 目線をテーブルから離す事なく一言一言噛みしめるようにこう言った。 「私のお話はこうです。 貴方の国の、貴方が戻られる駅の近く。 どこでも良いです、清潔なホテルの一室。 そこに私を連れて行って下さいませんか。」 「……は。」 俺は呆れた。そうだ、ただ呆れた。 「この俺を、御令嬢様の護衛に任命したいと。」 小娘は相変わらず視線を上げない。 「……それだけではありません。 お恥ずかしいお話ですが、私にはお金がありません。 その間にかかる費用、到着したホテルの約一週間分の宿泊代。 全て貴方にお願いする事になります。」 ……ここまで来るとお笑い草だ。いや笑いを通り越して泣けて来る。 お守りの上にパトロンだ?……俺はまだ22なんだぜ……。 だがそいつは、そんな俺の表情を見透かしてか いや、顔は見ていなかったな……。 そう、ただ何度も咀嚼して覚えた台詞を吐き出していたんだろう。 「お礼は致します。」 そう言って豊かに光る巻き毛のプラチナ・ブロンドを掻き上げると ちいさな耳たぶに不釣合いな、見事な輝きのピアスが姿を現した。 「ホテルに到着した時点で、これを差し上げます。」 「……それじゃあ本物か分からねぇ。外して見せな。」 そいつはただかぶりを振った。 仕方がないので背の高いスタンドの下にそいつを連れてゆき 首を思う様曲げさせじっくり見定める事にした。 ……露に白い首筋がやけに艶っぽかったが、今はそれはどうでも良い。 ……全くボスには感謝の言葉もない。 お陰で多少は効く俺の眼に、そいつは仄暗い電灯の下でさえ 只のガラス玉なんぞでない事は一目瞭然だった。 いや……それよりも問題はこの色だぜ……。 このサーモン・ピンクが太陽光の下でも同じ色を放つなら これひとつで楽々ボスと同じクルマを手に出来る。 「身分証明書と、出入国許可証がなければ話にならねぇぜ。」 まるで待ってましたとばかりに 後生大事に抱えていた子犬程の大きさのバッグから そいつは二枚の紙切れを取り出し見せた。 「……驚いたな。俺のより良く出来てるぜ。一体どうやったんだ。」 するとそいつはほんの少し微笑んで 反対側の耳を髪掻き上げ見せた。 そこにはただのピンホール……もう姿を消しかけていた。 お貴族様と我々庶民を隔てているのは どうやら身分や金銭だけの話じゃないらしい。 一体全体どんな思考回路をしているんだ。 そりゃあ俺だって故郷を捨てたのは丁度こいつ位の時だ。 だがそれはそうしなければ生きてゆけなかったからだ。 ちいさな店ならオーナーにもなれるだろう金になる石を捨て祖国を捨て この先一体どうするつもりだと云うんだ。 世間知らずを絵に描いた一文無しの御令嬢が まともに生きてゆける夢の国など この世界中どこにもありはしない。 ……勿論俺には何の関係もない事だがな。 「……悪いな。前金なしは請け負わないってのが俺のモットーだ。」 そりゃあ惜しかったさ。涙が出る程に。 だが俺にだって少々のプライドはある。 これで〆だと俺は思った。だがこれが目測誤算の第二。 「私が今ここに居るのはそのためです。」 ……まるで待っていたかの一言だった。 「……他に条件は。」 こんな小娘の掌中に言いなりの惨めな己が自分で見えた。 「ひとつあります。旅程中は私を女性と見ないで下さい。」 駄目押しだ……畜生……ガキが……。 「成程。じゃあ俺からも条件だ。 安全確保の為の命令には決して背くな。それから……」 自然、声のトーンがひとつ下がった。 「その敬語を止めな。虫酸が走る。」 初めて臆した様子をそいつは見せた。 いや、圧し止めていたそれが一挙に噴き出したというのが正しいんだろう。 それでなくとも俺の声は結構ドスが効いている。 ボスがガキ時代の俺を見込んでくれたのもこの声ゆえだ。 あぁ、この目がボスご寵愛のロシアン・ブルーの毛並みと 同色だったってのもあるが……それも今はどうでもいい……。 白羽の矢を俺に立てた理由は敢えて問わなかった。 偽造屋かその仲介野郎が一枚噛んでるって処が相場だろう。 出来過ぎた筋書もそいつ等の浅知恵の刷り込みと考えれば納得がゆく。 ……だがそうだとすれば相変わらずの呆れる小賢しさだ。 いざとなれば小娘の耳を生きたまま切り落とすなど訳もない 俺の素性を隠して信じ込ませるなんてよ……。 あぁ、無論信じる方が悪い。それは当然だ。 「ラオだ。呼び捨てにしろ。」 「サーシァです。」 「“です” じゃねぇだろ。」 「あ……ごめんなさい……ラ……オ。」 ……あの時の俺は確かに思考力も判断能力も妙な事になっていた。 本来の通称を思わず吐露してしまったのが良い証拠。 ……本名の方はもう自分でも忘れてしまいそうだ……。 ともかく、こうして俺達の奇妙な商談は成立したって訳だ……。 コン……。 ドアをノックする音にラオの反応は正に瞬時。 こんな時の為に数あるソファのこの位置を動く事がない。 ごく自然な様に立ち上がり、人差し指でブラインドを下げ覗き 車掌を確認した後に簡易錠を外す。 「検閲です。こちらはお二人ですね。 ではお二人の身分証明書と出入国許可証を。」 車掌の口調は事務的。だが鋭い目付きは贄狙う鷹のそれと同じ。 “車掌ねぇ……。中身は訓練された軍人のくせによ……。” そうしてその後ろには、偉丈夫な“公称”公安官が三名。 ラオは二人分の紙切れ4枚を手渡す。 書類と二人を行き来する車掌の目。 「お嬢様。失礼ですがお顔をこちらに。」 身を固く窓よりゆっくりふりむく顔に浮かぶ微笑はいかにも不自然。 一方ラオはというと、ふふんと鼻歌ちいさく奏でる始末。 「結構です。」 戻された書類をジャケットの内ポケットにしまいこもうとした時。 「失礼ですが、お二人のご続柄は。」 ラオはくっと笑う。 「野暮な車掌だな。」 「……失礼しました。……あと20分程で最初の停車駅に到着致します。 停車時間は1時間。その間の乗降はご自由となります。」 「……だとよ。」 前屈みにようやくほぉと深く溜息をつく少女にラオは言う。 「外に出てみるか。まだまだ寒いだろうが気分転換にはなるぜ。」 「わぁ……」 駅とは名ばかりの、まるで盛土をしただけのプラットフォーム。 長時間の列車旅行の疲れを一時癒そうとする人々に埋めつくされて 立錐の余地もないとはこの事。 「離れずに歩け。手を伸ばして届かねぇ位置に行くんじゃねぇぜ。」 サーシァは脳裏に消し去れない。 コンパートメントを出る間際、拳銃の銃弾を丹念に調べるラオの姿。 その瞳の湛えた、恐ろしいばかりの静けさ。 撃鉄を上げ下ろしする、ジャキン……と耳に、頭に響く金属音。 今この時とばかりに広げられる屋台の山。 「お。肉入り揚げ菓子パンだと。……要るか?」 にこり微笑むサーシァ。極北の鈍い陽光を浴びて豊かな髪がなびく。 「ふたつだ。」 店番は薄汚れた色とりどりのスカーフを頭に覆う太った中年女。 にこりともせず無愛想に金額を告げ 手際良く2つの揚げ菓子パンを藁半紙の袋に入れ手渡す。 それを受け取り脚の間に置いたトランクに手をやった瞬間。 「おい。」 ラオの動きはさながら鍛錬を重ね重ねた軍用犬。 人掻き分け、いかにも品の良い初老の紳士の セーブルの襟をねじ上げるのは瞬時の間。 「この女に何の用だ。」 「……ラオ……!」 咄嗟の出来事に怯えを隠せず少女はちいさく叫ぶ。 「この紳士はただ、駅の名前を訊ねられただけ。 外国の方で、字がお読みになれないのよ。」 「それがどうした。」 その声音は猛獣の唸りのよう。 その紫灰色の眼光は鋼をも射抜くかのよう。 「……無礼な……!手を放さんか。」 声震わせる老紳士をラオはどんと突き放す。 「笑わせるなよ……女に無闇に話しかけるのは無礼じゃねぇのか。」 「二度言わせるな。傍に居ろと言った筈だ。」 「ごめんなさい……。でもラオ。 老紳士を相手にあのような非礼な態度は取らないで……。」 声の震えを隠せぬままに、それでもはっきりした口調に少女は言う。 「は……馬鹿かお前は。」 呆れてものが言えぬとは正にこの事。 「いいか。俺以外の人間は全て、全てだ。全員を敵と認識しろ。 今のお前にはそれでもまだ生ぬるい位だぜ。」 そうしてその一方。男は思っていた。 普通のお嬢様なら竦んで声など出せる場面じゃねぇ。 それを口応えまでするとはな……。 そう言えばこいつの泣いた顔を見た事がない。 案外……俺の思っているよりずっと……腹はくくれているのかもな……。 プラットフォームを少し離れれば喧噪は早くも蚊帳の外。 林立する樹木は遙か彼方。 それ以外は初夏というのに花も草もまばらな草原、ただ草原。 地平の天蓋の空、鈍色の空。ただそれだけ。 「ラオ。ここに座っても構わない?」 「……いいの?」 「お前が100キロもあれば話は別だがな。」 くすっと微笑って少女は言われたとおりラオのトランクに腰を下ろす。 ラオは地べたに座り込み、まだほのかに温かさを残す紙袋より ひとつ菓子パンをつかみ上げ、少女には袋のままにそれを手渡す。 「……美味しい。」 「本当だ。美味いな。」 「何だかピクニックみたいね。」 ラオはくすりと笑う。 「食い物は安物の揚げ菓子パンだけ。景色は無惨。 ……だがこんなのもたまにはいいな。」 そう言ってごろりと仰向けに体躯を寝かせ、目を綴じる。 「……寒くねぇか?」 「大丈夫。」 自分の命の十日あまりを預ける男をしばらく眺め少女は思う。 この人はいつもこうしている。 そうしてほんのちいさな物音ひとつにも確実に反応して覚醒する。 まるで屋敷に居たボルゾイ達のよう。 こうしている寝顔は何だかまだあどけないようなのに アカデミーに進学した、今はもう居ない従兄弟の御兄様と そんなに変わらない年恰好なのだろうに 一体いつからどれだけの、厳しい鍛錬をこの人は積んで来たのだろう……。 それから目線を遠くの林に向ける。 この林の奥。そこにある深い森に虎はいる。 そうして思い出す。伯爵令嬢だった頃の事。 毎年繰り返される贅を極めた豪華なお誕生日パーティ。 去年はメリー・ゴー・ラウンド。今年は噴水ショウ。 たった一日限りの、私一人のためだけの。 そうしてあれはいくつの時だっただろう。 興行師が虎の赤ん坊を連れて来たのは……。 それはまだ本当に赤ちゃんで、呼べばよちよち歩くのも、ころんころん と何度も転び、抱き上げれば毛はふわふわと産毛がとても柔らかく、目 は全体に青みを帯びて、顔をうずめればミルクの匂いがした。 ちいさな体に不釣り合いな大きな手足も、ふわふわ動くしっぽも、 何もかもが本当にかわいくて、私は一日その子に夢中。 でも次の日目覚めればもう居ない。 「あれは一日限りの、貴女へのプレゼントなのですよ。 あっという間に大きくなって手に負えなくなるだけ。」 御母様のその言葉にも納得せず、いつまでも駄々をこねる私に 根負けした御父様がすてきなロシアン・ブルーの仔猫を下さった。 猫もそれは可愛いかったけれど、その子はしょっちゅう爪を立てた。 「それは猫ですもの。動物はみな、そういうものですよ。」 「でも御母様。あの虎の赤ちゃんはそんな事はしなかったわ。」 「それは貴女。大切な綺麗な貴女を傷付けでもしたら大変でしょう。」 その意味を理解した時の私の感情を、何と表現したら良いのだろう。 クーデターが勃発し、明日にも身が危険という日の夜に 御母様はピアスをこのピンク・ダイアモンドに換えて下さった。 「これだけでは到底貴女の一生は支えられない。 でもこれを糧に生活の基盤を整えるにはなんとかなるでしょう。 愛しい私達のサーシァ。 これくらいしかして差し上げられない私達をどうか許して下さいね……。」 辛すぎる悲しみや混乱のさなかにあると 人は脳に明るく楽しい音楽や映像を見たり聴いたりするというけれど その時私の脳裏に浮かんだのはあのかわいらしい虎の赤ん坊だった。 即座ぞっとする感覚が押し寄せる。 ただ一日、私を楽しませるためだけに捕らえられ母虎より引き離され まだ赤ん坊の身に爪全てを抜き取られた……。 もう生きてもいないだろう。 ……生きていればその方が余程残酷。 その時ふと私のなかで このピンク色をしたダイアモンドが虎の爪に重なった。 天国におわす御父様御母様、どうか私をお許し下さい。 これは生活の糧には使えない。 けれども決して無駄にもしない。 気高く美しい森の王者。 その生きるに不可欠な爪を抜き取った。 一生忘れる事がない。 ……忘れられない。 「そろそろタイムアウトか。」 半身起こして少女の横顔を一瞥するラオは 澄みわたる青い瞳のなかの波を見逃さない。 「……体が冷え切ったな。戻って熱いものでも飲もうぜ。」 カタン、コトトン……。 ラオは相変わらず、目を綴じたまま。 そうか……あれからちょうど10年になるんだな……。 無我夢中に何だかあっという間だった……。 配下に結構な数を与えられる身分にもなった。 ……ボスの全幅の信頼を得るにはまだこれからだが…… そう、これから。俺はこの世界でこれからだ。 ……だが本当に?……本当にか……? カタン、コトトン……。 そう云えばこの音を、子宮で聴き続けた母親の心音と 同じ種類のものだと称した奴が居たっけな……。 もしそうなら、胎児の頃からオフクロの腹のなかで 人間ってのは色んな考えを巡らせているんだろうかな……。 あぁ、きっとそうだ。 こんなにもあれやこれや、まるで惑わしのように 考えが浮かんでは消えるのは この音のせいに違いねぇ……。 かたん……と少女が立ち上がればラオの夢うつつより醒めるのも瞬時。 「どうした。」 「落陽だわ。」 西に沈みゆく夕陽を窓に追い少女は立ち上がったまま。 進行方向に向かい座るのも忘れ一心に窓の外。 「ラオ。陽が落ちる。」 のそりと立ち上がりラオのする事と云えば ドアのブラインドを人差し指で下げ外の無人と、施錠の確認。 それから少女の立つ窓際に行く。 左手を窓の上部にあてがい、少女の背後よりつつみこむようにして立つ。 「おう。でかいな。」 極北の初夏の落陽は遅く真夜中がもうすぐそこ。 夕陽はまるでその日一日の仕事の塵にまみれたように 赤銅色に黒く染まった姿を悠々たる大きさに 西の地平を目指し落ちてゆく。 一旦身のほんの一部が地平線にかかるとその鈍く赤い色は 一瞬にして残りの力の限りに地平を一閃の光の筋に染め上げる。 「すごい……力強くて……とてもきれいね。」 「あぁ。」 車窓から望む落陽など何度も見た。 そうだ何度も見た筈なのにな。 倍にも三倍にも加速しながら落陽は終末を迎え とり残された光の線もゆっくりと残光を消してゆく。 その後少女は一言も発しない。 ふとラオの視線がサーシァの顔に落ちる。 少女の左手がラオのジャケットをきつく握りしめている。 だがその視線は一心に、陽光の落ちた地平の向こう側に ただそちらに向けられるばかり。 その面差しを少時みつめ ラオもまた視線を上げそれを同じ方へと向ける。 陽の落ちた地平の彼方に、目指す西に――。 |
-end-
-back ground music- Mike Oldfield "QE2" Simple Minds "Good News from the Next World" Paul Kossoff "Back Street Crawlers" |