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UP 『“連作・修羅” 外伝5・巴』UP(5th.Nov.2022)

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Works' Short-Cut



Yoitsuki-Hiyori

3月4日
桃薫る弥生。
人間、馬齢を重ねると色々想いや考えにも少々変化も顕れてくるとみえて、最近、仏教というのは如何にも外来のものであるのだなとつくづく思ったりする。つい最近、坂口尚の『あっかんべェ一休』を再読して、以前読んだのは15年くらい前だったかと思うが、その時には殆ど感じなかった、その「外来」の感覚を新たにしたりしていた。重なるように星野之宣の『宗像教授世界篇』を読んで、あぁ、仏教も「また」、政治に利用されての、伝来であったのだと、そこに全く今の今まで思いが及ばなかった自分を情けなく思った。仏教推進派である蘇我氏と神道派の物部氏の闘いでは物部守屋が片眼を射貫かれ蘇我氏が勝利を収める、その蘇我氏の軍勢に「あの」厩戸皇子も居た事もあり、歴史的にまるで物部氏は悪者のように描かれているが、そうしたものでは決してなかったという事も。聖徳太子は元々蘇我氏に近しい人間でもあったのだけれど、「和をもって貴しとする」のには仏教の教えはそれは分かり易く有り難いものであっただろう。日本の神様達はそれぞれとてもとても個性的で、和をもってどうとかなんて全然脳裏にもないような方々ばかりだ(笑)。お寺はその後威信を示すようにどんどんと豪華絢爛なものになってゆき、お坊さんの袈裟はキンキラキンキンになってゆく。およそ日本の美意識とはかけ離れていると、私は今になって思う。けれども外来のものだから悪い、と言っているのでは決してない。不勉強極まる私だけれど、御釈迦様のお唱えになった「色即是空空即是色」はそれだけで真理だと今でも思っているし、謂わば他に類を見ない哲学者のような御方であったのではないかと、尊敬とか崇拝とか、そういう言葉では言い表せない感情を持って捉えている。また一方、荒れ果てた世の中で這うように苦しむ世上の人々を救う為にと、日本独自の解釈として生まれた宗派の中にも優れた考えが沢山あるようにも思う。だから仏教が伝来しなければ良かったとか、元来外国のものであるのだから云々という事を言いたい訳では決してない。ただ、太古の昔から口伝えであったか、八百万の神々、また、天つ神国つ神、そういった神々の、ここはおわす地であるのだということ、神社の、深閑として森厳なる風情、そういったものに、改めて、こころ奪われる思いがする、自分の本来居る場所に戻って来たような思いが、する、ただ、それだけの事であります。こんな事を書いていても中宮寺の半跏思惟像が己の中で世界最高の像である事に何の揺らぎもなかったりする訳ですし、仏様にも神様にと同様、手を合わせもし祈り願いもする訳です(笑)。





†「宵月日和過去ログ」はこちら†

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