『宵月日和一ヶ月間の過去ログ』


 

2024年
4月9日
卯月。
四月に入ってひとつの囚われ事から抜け出すことが出来ました。とはいえそれは、今、一瞬のこと。生きている限り次の囚われ事はまた、いつか必ずやってくる。だからそれが来ない間に、人生楽しみましょう、って事なんだ、っていう当たり前の事に、心底しみじみと思い知ったことです。


3月6日
弥生の月です。
昨日だったか、NHKのローカルニュースを見ていると、奈良の古墳群の紹介に出ていたNHKの女性アナウンサーが、とっても可愛いピンクハウスのオーバーオールを着ていて、気分は一気に大昔に(笑)。オーバーオールは私達の若かりし頃には男女問わず着用していましたし、ピンクハウスは、同じ音楽仲間のお金持ちの(笑)女の子がいつもそれを着ていてとても可愛らしかった事など次々思い出されました。あまり懐かしく思ったので検索などしてみると、おお、今でも健在なのですねピンクハウスもインゲボルグもカール・ヘルムも! 勿論金額的な事もありましたが(笑)若い頃の私には少し可愛らし過ぎて一着も買う事も着る事もなく来てしまいましたが、そして今やそれを着るには薹が立ちすぎているのに違いは全くないのですが、反対に歳取る程に可愛いものがいとおしくなるのもこれまた事実。そうそう春らしい、いかにも春らしい色合いだという事もあります。色々、懐かしい思いで検索していました。あのピンクハウス少女はもう今はピンクハウスは着ていないのかな。


2月5日
如月の月です。そうして、もう最近は忘却の川レテに浸かり溺れているとしか考えられない程、何もかもが忘却の彼方なのですが、記憶にある限りでは2005年2月5日に、この moon in the dusk は、誕生致しました。つまりお誕生日です。え……19年……! 怖ろしい。そんな歳月が知らぬ間に経ってしまっていたなんて。まぁまぁきちんと更新などもして活動していたのはせいぜい最初の5年間位で、あとはただただ日の経ってゆくに任せるばかりではありますが、それでもこうしてまだその姿をとどめておけるのは有り難い事です。世間ではAIの文章が起用されたものが芥川賞を受賞したり、原作漫画のある作品をテレビドラマ化し、その脚本が原作とかけ離れたものとなった事を発端に漫画原作者が自殺するという悲劇が起こったりして、「作品を自分自身の手で、自分の描きたいように描き創り上げる」という、それ自体を、再度考える事です。私は此処で、ただただ、自分の描きたいものだけを、下手くそであって、読みづらくあって、ひとりよがりであって、どうしようもないものであっても、ただただ、自分の手で書いた、その事だけが楽しかった。この moon in the dusk というHPは、宵月という一人の人間の、おもちゃ箱です。ひっくり返せば、他の人にはがらくた以外の何物でもないけれど、宵月には確かにそれは宝である、そんなものがからからと音を立てて溢れ出てくる、そんなおもちゃ箱。それ以上でもそれ以下でもありません。もう訪れて下さる方も殆どいらっしゃいませんが、そんな場所を今も持ち続けていられる事に、感謝以外の何物もあろう筈がありません。ありがとうございます。宵月という人間の人生の一幕が此処にあります。


1月8日
新年……明けましたが、明け方が、言葉も失うような有様で、とても、寿ぎの文言を続ける気になれません……兎にも角にも、2024年、令和六年のはじまりです。
ぼんやりとテレビの録画を見る……というよりは、眺めていた、と言った方が正しいような、そんな見方をしておりますと、日本の八百万の神、というのは音に反応し、音に乗り、音と共にあられる、のであるとか。木の葉ずれの音、木々のざわめき、それらにも神は宿り、神はそこにおわすのだとか。そうして、音を奏でる、その楽器を、木の音、木音、つまり「こと」と呼んだのであるとか。琴の語源であります。なんという美しさでしょう。あぁもしこのサイトを開いた時にそれを知っていたなら、きっと図々しくペンネームを木音「こと」とした事でしょう(笑)。
そんな拙サイト、一昨年は漸くの事で修羅の続きを書く事が出来ましたが、昨年は結局一文字も書く事が出来ませんでした。つくづく、私のような能無しが言葉を紡いで遊ぶのには心身の余裕あってこそなのだなと痛感するばかりです。その余裕、今年に出来ますかどうか。身体のこころの許すうちに、修羅の、もう物語を紡ぐのは無理ですから、せめてこの脳内にある終幕までのあらすじを、書いておきたいと思うのですけれど、それが叶いますかどうか。それすらも分からない有様の今日この頃ですが、どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。皆様にとりましてあたたかく和やかな日々が続きますようにと切に祈り願います。


12月8日
とうとう師走です。もう時の経つのが早過ぎて全然師走という気がしない、気がしないのにふと気付けばやっぱり師走で、しなければならない事を数えてゆくと気が遠くなりそうで、やっぱりぼちぼち手の付けられる処から手を付けているという塩梅の今日この頃。『にけつ!』という千原ジュニアとケンドーコバヤシがただただ話すだけの30分番組を見ていたら、「父親と二人きりで過ごした時間を今まで全て足して、一体何日分になる?」という話をしていました。二人共が、これまでの人生全て足しても、丸一日あるかないかだ、と言っていました。そこでふと自分を顧みても、母親が専業主婦でずっと家に居たし、兄も居るので、父と家で二人きりになる、という事はまぁ、まずなかった、記憶には一日もないです。子供の……確か小学四年生位の頃、何故か父と二人で電車に乗ってでかけた事があったのですが、行き先を覚えていない。祖父母の家以外に考えられないので、多分そうだったんだと思いますから、行きと帰りの時間は父と二人きりだった事になる。あと、結婚が決まった時に父と二人で出かけたんですが、これもまた何しにどこへでかけたのだか覚えていない(笑)。ただ日本橋のシマムセンという高級オーディオを扱うお店に「ちょっと寄る」といって付き合わされた事、その後HMVでCD見る、といってこれまたちょっと付き合わされた事、こっちは、階によって音楽ジャンルが違っていて、ロックとか置いてる階はカジュアルなのに、クラシックだけを取り揃えている階だけ、何だか木調の重厚感ある雰囲気で、そこでまた父親の態度が至極エラソーで(笑)、扱う店員さんもまた何だかきちんとした服装で態度も著しく丁寧で、ロックのトコなんか全然こんなんちゃうぞ、ほってらかしやぞ、なんやこの差は、なんて憤っていた事をすごくすごく覚えているのですが、まぁとにかくこの日は半日程は一緒に居た事になります。……それ位かなあ? やっぱり全部足しても生涯で二日間くらいしかないんじゃないかな。あ、思い出した思い出した、子供の頃、夏休みに、自転車で、あちこち、連れていってもらった事はあったな。でもまぁあれも精々一回3時間位だし……やっぱり全部足しても三日には足りない位じゃないのかな。なんのかの言ってもやはり子供には母親、だったと思います。今は時代も変わって来ているから、そんな事もないのかも知れません。12月は父の誕生月なので、父の事を思い出す事が多いところへもってきて、の、話題でありました。そうそう旧Twitter 現X(ほんっとネーミングセンス最低・笑)で、ハッシュタグ「モーツァルトのなかで好きな曲を三つあげよ」なんていうのがあったのでのっかったのだけれど、父ならどの三曲選ぶのかなぁ、なんて思っていた事も加えて。『魔笛』は固いかなぁと思う、とてもよくかけていたし、「『ドン・ジョバンニ』なんか、ええのん、父親の幽霊出てくるトコだけやん、『魔笛』は最初から最後まで素晴らしい」と言っていたし。そう言えば私、子供の頃からやたら聞こえてくる「パパゲーノ」というのが何なのか分からず、そりゃ分からん何しろ父は子供に音楽を聴かそうなんて全然思ってないのだから、ただ自分が楽しんでいただけなのだから。で、たまたま見たパパゲーノの姿が、セサミストリートのビッグバードみたいな全身鳥の羽根だらけの男だったんで、げっパパゲーノってトリのオバケなんか!? と、もうこらえきれなくなり、とうとう「おとうちゃん、パパゲーノって何やの?」って訊きましたね。父「鳥刺し……やな」私「鳥刺して何……パパゲーノって、人間ちゃうの……?」父(困惑しつつ)「……人間や(笑)」私「ほななんでこんな鳥みたいな恰好してんの……(泣きそう)」父(もう勘弁してという風情で)「鳥刺しやから」私「鳥刺して何……(もう泣く)」父「……。」(ただ微笑む)。はい、あれもこれも想い出です。長々すみませんでした(笑)。


11月14日
霜月です。少し前まで暑い位の日が続き、そうして一気に冬到来の寒さがやって来ました。この頃は何でも中庸がなく、ものごとが極端に、極端にとなる傾向がある気がします。中庸が良しとされた御釈迦様はどう想っていらっしゃるのかななどと思います。御釈迦様と中庸で思い出しましたけれど、確かに御釈迦様は大変な苦行をされている時に、川の流れをゆく舟のなかで琴のような楽器を奏でている音を聴き姿を見て、弦がたるんでいても良い音は出ず、また張り詰めさせると弦は切れる。何事もものごとは中庸が良い、と悟られたと私は見聞きしていて、この事を本当にそのとおりであると心底思っているのですけれど、同じ仏教でも例えば禅宗などでは今でも戒律がたくさんあったり苦行をされたりしますね。どこかしら人間のなかには、中庸が「なまぬるい」と考える処があるのではないかと思ったりします。でも本当の処、中庸である事こそが一番難しいのではないかと私などは考えたりします。ところで急に話が飛ぶのですが、人間のパーソナリティを16個に分類しようという一種の心理テストみたいなもんですかね、その無料のヤツをやってみましたらば私はINFJ-T という、一番稀な型だと出ました。稀(笑)。この型は別名を「提唱者」といい、要するに人様に何かしら提唱したい人間らしいです。同じ型にはですからガンジーとかネルソン・マンデラとかマザー・テレサとかマーチン・ルーサー・キングとかまぁ、錚々たるメンバーが名を連ねます。ついでにヒトラーもそうだそうです。正直私はとんでもなく驚きました。何故ならそれこそ私の対極に居る人達だと思っていたからです。私には人様に提唱するものなんて何一つありません。何より理想とするものが何もないのです。もっと言えば人の生きる意味もない、とさえ思っているのですから、そんな人間が人様に偉そうに何ぞを提唱するなんてあり得ない話です。私がこのような性格になったのには父親の存在が恐らく大きいかも知れないと思います。父は「〜してあげる」という言葉を忌み嫌っていました。人様に、〜してあげるとは何という傲慢さか、貴方はいつからそんなに偉くなったのか、という訳です。ですから父は「人の役に立つ」という事にも全く重きを置かない人間でした。「自分自身の面倒を見るのに一生懸命で、それすらもまともに出来ていないのに、人様の事にまで到底手が回らない」と言っていました。これは物理的な事もそうですが精神的な意味合いが大きいです。そうして例えば電車の運転手さんや旅客機のパイロットなど、多くの人の命を預かる職に就く人を、「全く信じられない。自分には怖ろしくて絶対に出来ない。」と公言して憚りませんでした。そんな父に生きる意味を問うた事があります。父の答えは簡潔でした。「個人個人としては、それは色々あるかも知れない。ある人はピアノを極めたいと思うかも知れないし、ある人は数学の問題に一生を捧げるかも知れない。けれども大局として見た時、人の、人間の、生きる意味は、どこにもないし、何もない。」と。私はこの言葉を聞いて心底救われた気がしました。何故なら、そうであるなら生きる意味を無闇に考える必要はないし、役に立たない人間であっても生きていたって別に構わない。役立たずだと頭を抱える必要はどこにもなくなる訳です。これほどの救いはそうはない。私は本当に役立たずの人間ですし、実際誰の役にも立たない日々を安穏と過ごしていますが、その事に関して過度の後ろめたさや申し訳なさを感じる必要がない、というのは、これは救い以外の何物でもありません。また生きる意味がないのですから、当然、理想もありません。勿論個人として、こうであればいいな、という事は色々とありますが、それはあくまで私個人の欲求欲望であって、人様にああすれば良い、こうするべきだ、というものは何もないのです。それぞれにおいてそれぞれでしかないとしか言い様がない。こんな思考的回路の私が何故、どうして「提唱者」なのか全くさっぱり分かりません(笑)。正直無料診断のなんてこんなものだな、という印象です。そう言えば友人が、ちょっと辛い症状に悩まされて、もしかしたらパニック障害なのかも知れないと、心療内科に行ったらしいのですが、そこで、2時間に亘るテストを受けさせられたらしいんです。結果悪い処はどこもないと、軽い安定剤すら出なかったそうなのですが、そういう医学的なテストであれば何らかの信憑性もあるかも知れないなとは思いました。けれども2時間は流石につらい。友人も「ものすごく疲れたし、自分のバカさ加減を思い知る事になって辛かった、結局治らないし。」と言っていました。とても頭の良い人なんですけれどね。





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