銀影―shadowland―


 
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「修羅?」
修羅の少し後ろを歩いていた木晩が口を開く。
返事もしないで 修羅は変わらぬ速度で歩を進める。
「異の国へは さっきの道を行くんじゃなかった?」
「……お前はかの国へは連れてゆかん。」
相変わらず振り向きもせず 修羅は言う。
「何故!」
「あそこに用があるのは俺だけだ。
お前はその間義姉さんの元に居りゃあいい。
だから先にそちらに向かう。」
「厭だ そんなの!」
木晩は修羅の前に回りこむ。立ち止まった修羅は
その射るような銀の瞳で木晩を見つめる。
「……何があっても俺は知らんぞ。」
木晩の木の実の瞳が微笑む。その表情を銀瞳で見つめ
それから修羅は何も言わずに来た道を戻り出す──。



“修羅だ……”“修羅じゃないか……”
“今頃何しに戻って来たんだ……”“血みどろの恥知らずが……”
“銀瞳の忌む者が何用だ……”
異の国の関門を抜け街に入った途端に
あちらこちらから囁き声が漏れ響く。
その中を修羅は何事もない様に平然と歩いてゆく。
「修羅……。」 思わず小さな声で木晩が呟く。
「離れずに歩け。」 振り向きもせず修羅は言う。
それにしても ここも荒れたもんだぜ……酷いもんだ……。

「これはこれは!」
ひとりの男が修羅の元に近付き声をかける。
修羅の歩に合わせ歩きながら にやついて男は話し出す。
「愛しい兄上が略奪惨殺された時 こともあろうに己はのうのうと
よその地をぶらついていたとあっては 人の心持たぬさすがの忌む者も
もはやこの地にはどの面下げておれるものかと 感心にも懺悔の旅に
一生を捧げてでもいるのかと思っていたが。」
男は木晩に瞳をやり にやりと笑う。
「それがこともあろうに 女連れの御身分で御帰還とは な。」
修羅の歩がぴたりと止まる。
「おっと!」
男は両の掌を修羅に向け 一歩退く。
「抜くなよ。俺もそこまで馬鹿じゃねぇ。ただ皆の心の内を
ちょっと代弁してやったまでのことさ。」
修羅はゆっくりと 初めてその男に顔を向ける。その銀の瞳光の物凄さ。
そしてにやりと笑って低く言う。
「じゃあそのお利口な脳味噌に これから言う事をしっかりたたきこみ
仲間にも一句違わず伝えるんだな。
この女の髪一本にでも触れてみやがれ……
貴様ら全員に試してやる──」 銀の瞳の尚凄い閃光。
「……初めは命乞い……それから死を懇願し
 そのうち気が狂う……ってやつをな。」
へっ……と ひきつった笑いを最後に男は走り去る。


「修羅……。」 木晩の小さな声。
「だから言っただろうが。」
再び歩み始めて修羅は 投げ捨てるように言う。
「……でもやっぱり来て良かった。」
修羅はまた歩を止め 驚いたように振り向く。
「何だと?」
「だって修羅ってば “このおんな”だって。」
「な……」
呆気に取られて修羅は思わず木晩を見る。
その仔犬のような無心の笑顔。
「……さっさと歩け!」 そう言って修羅は足早に歩き出す。
「あっ 待ってよ!」
……こいつには全く……呆れてものも言えねぇ……。



「……ここは修羅の御屋敷だね。」
たどり着いた大きな だが戦に荒れた館を前に木晩は
何年も前の姉の婚儀の時を思い出す。
「俺の じゃねぇ。」 修羅は吐き出すように言う。
「用はすぐ済む。その間お前はここで待っていろ。」
そう言って修羅は大きく見事な扉を開ける。
「誰か居るか!」
暫くして女官が姿を現す。
「これは……修羅様……。」
修羅はにやりと笑う。
「安心しな。俺はこんな所に用はねぇ。ただこいつを──
義姉の妹の木晩だ。覚えているだろう──ほんの少しの間
ここで休ませてやって欲しい。それだけだ。……じゃあ頼んだぜ。」
「修羅様 お待ちを!」
急ぎその場を離れようとして背を向けた修羅に
女官は思わず声を荒げる。
「御父君が……お待ちでございます。」
修羅の動きがぴたりと止まる。
それからゆっくりとふりむき にやりと笑う。
「何を血迷い事をぬかしやがる……厭味は聞き飽きたぜ。」
「そうではないのです……修羅様。」
女官は静かに続ける。
「御父君は永の患いで もはやいくばくの……」
修羅の瞳に一瞬の閃光が走る。その瞳で女官を睨み
 それからぐっと低い声で言う。
「……それが何だと言うんだ。」
ひるんだ女官の顔を見て、修羅はにやりと笑う。
「じゃあ木晩を宜しく頼むぜ。」
そうして後ろ手に乱雑に扉を閉める。
……あの男が待っているだと……戯れ言もたいがいにしやがれ──。


その屋敷よりほど近い小さな だが瀟洒な建物。
修羅が錆び付いた扉を勢い良くこじ開けると 埃がもうと舞い上がった。
これはまた……亜魏の奴らめ──根こそぎ掻き回していきやがったな……。
ゆっくりと歩み入り 修羅は部屋の端に置かれた大きな机の前に立つ。
その机にそっと手を乗せ 修羅は昔に想いを馳せる──。



兄貴はいつも この机に向かっていた。
十五歳にしてこの家の主。それまで兄の乳母に
隠れるように育てられた俺にも 同時にここが住処となった。
尤もおとなしく一日中ここに居た事など数える程。時が経てば経つ程
奔放に過ごす事を覚え 連日戻らぬ事さえ少なくなかった。
ある時 返り血と己の傷とで血まみれになって戻ったが
兄は特に驚くでもなく 「仕様のない奴だな」と
ゆっくりこの机の元から立ち上がり 自分の寝具の絹を切り裂き
俺の腕のえぐれた傷の上にそれをきつく巻き付けた。
「傷の手当と剣の手入れだけは決して怠るな。」
少し強い口調でそう言って また机の前にと戻っていった。

「……殺ったんだ……。」 暫くして俺が言うと
兄は書き物の手を止めて だがふりむきもせずこう言った。
「それが その者の運命だったのだ。」
それから突っ立っている俺の方にゆっくりと顔を向けた。
「何をしている? 早くその傷と血飛沫を洗い流して来い
──しっかりと手当をし それから食事にしよう。」
そうだ……あの時の兄の瞳……全くそっくりだった──。



さて……と。 修羅はその机の一番大きな引き出しを開ける
──中には何もない。にやと笑って それから荒らされ
本の散らばる大きな棚に歩み寄り その後ろ側に手を忍ばせる。
修羅の探る指が小さなくぼみに触れる。
指に力を込めぐいと押すと かちりと音がした。
……亜魏は無能の集団と見えるな……。
それから先程の引き出しを開けると そこには幾枚もの書類の束。
それに隠れるようにして ちいさなからくり細工の骨董音楽箱があった。
兄貴も馬鹿だぜ……こんな紙切れの為に責め殺されるなんてな……。
あちらを圧し こちらを引っ込め…何度か繰り返しているうちに
かちりと乾いた音がして ちいさな蓋が開いたと思うと
やわらかなオルゴールの音が流れ出し そうして中から
見事に碧い光を放つ美しい翠玉が現れた。


俺がこの隠し扉を見つけたのは ほんの偶然の出来事だった。
この骨董箱のからくりには少々手こずったが
かちりと音がして蓋が開いた途端に現れた
綺麗な紅色と碧色のふたつの石の光り そして同時に鳴り出した
この音には何か えも言われぬ想いがした。
スリルが心地よかったのか ただその音律を耳にしたかったのか
それからというもの 兄の留守に勝手に開けては楽しんだものだったが
だが 兄が結婚してからは 当然俺は殆どここには
寄り付かなくなったから……まだここにあるか少し不安だったが……。
修羅はその翠玉を手に取り 骨董箱を元の位置に戻す。
と その時書類の一枚がするりとずれた。
そこに現れた文字に 修羅の顔色ががらりと変わる。
な……んだ これは……!?

修羅はその文字を貪るように読む。手が小刻みに震え ただ紙の音が
かさかさと響く。そうして読み終えた修羅は呆然とそこに立ちすくむ。
……義姉には間違いなく亜魏の血が流れている──その調書には
そうはっきりと記してあった。父なる男はもはやこの世の者でなく
現在それを知るはただ義母のみである と。そして最後に兄の字で
こう書かれてあった。
“修羅。私に万一があれば焼却の事。必ず。”
……どういう事だ……兄は国の機密を売っていたんじゃなかったのか……
それともそのふりをして……いや……単にその間に偶然この事実と対峙したのか……
どちらにしても……どちらにしてもこれは……何て事だ……。


しばらく呆然とただ立ちすくんでいたが 修羅は翠玉をぐっと握り締め
そうして他の おそらくは機密文書であろう書類と共に
その紙を暖炉にばさりと放りこみ火を放つ。
その燃え広がる炎を銀の瞳に虚ろに反射させていると
ふいに後ろから声がした。
「修羅……。」

びくりと修羅は振り返る。
そこに立っていたのは 窶れをみせた しかし美しい年配の女性だった。
一瞬にして修羅の銀瞳に暗い影が走る。
「そなたが戻ったと聞き きっとここだと思って来ました……。」
「……今更俺に何の用だ……。」 低い声──。
「修羅……母はそなたに 謝らなくてはならない事があるのです……。」
は……修羅はにやりと笑う。その銀瞳の光りの物凄さ。
「俺を殺ろうとした事か。」
女性の潤んだ黒い瞳に 驚きと恐怖の織り混ざった色が走る。
「知って……いたのですか!」
くっと修羅は笑う──いつものように──。

「いきなり後ろから額にガツンと来た。次に瞳醒めた時には兄の乳母の
部屋の中だ。小滝の元に血まみれでころがっていたと 後で兄が話して
くれた。勿論 ようやく言葉が話せる程度の餓鬼だった当時の俺には
何が何だか訳も分からなかったさ。だが物心つく頃になれば容易に想像が
ついた──貴様が従者にやらせたって事位はな。何なら拝ませてやろうか?
その時の傷痕をよ……見事なもんだぜ?」

女性のうつむいた瞳からひとすじの涙がこぼれ落ちる。
「……それがあの子のためと信じての事でした……私はただ
あの子が愛おしかった……。でも その子ももう居ません。
そうしてお父上はその後病に臥され……。」
「世の中ままならんな。」 修羅はふんと笑う。
女性は涙に濡れた顔を上げる。
「修羅。私はそなたに許しを乞おうなどとは思っていません。
母が我が子に手をかけるなど これは許され得ぬ事。私は……ただ私は……」
その濡れた漆黒の瞳に刹那の光り。
「この罪をそなたの手で裁いて欲しいのです……。」
「……何だと……。」 修羅は銀の瞳を細める。
「そなたの手で……この私を……。」

「は!」 修羅は声を荒げ笑う。
「やりそこねた子殺しを 今度は親殺しで償えとはな!」
その瞬間鞘より素早く片手で剣を抜き
その剣先を母なる女性の眉間にぴたりと当てる。
「斬ってやるぜ……望みとあらばな。」
そうして大きく剣を振りかざす。女性は身動きひとつせず
その瞳をかたく閉じる。
次の瞬間かたかた……と音がして 切れ切れになった黒髪と
幾本もの髪どめが床に散らばり落ちた。
「あばよ。」
がちゃりと剣を鞘に収め 修羅は部屋を出る。
崩れるように跪きまたひとすじの涙を流す女性に一瞥もせず──。


部屋を出た修羅は陽の光に軽い目眩を感じる。
何だ……これは夢魔の仕業か……俺はどうかしてしまったのか……。
あれは……あんな瞳をする女じゃなかった……。


「修羅! 修羅じゃないか!」
ふらつくように歩く修羅に ひとりの中年の女が声をかける。
振り向いた銀の瞳がみるみる現(うつつ)を取り戻してゆく。
「おう……! 生きていたのか。」

女はこの異の国でたった独りで 髪結いを生業として暮らしていた。
初めて産んだ娘は新雪のように白い髪。
夫であった男はその乳飲み児と共に急流に身を投げた。
皆が修羅を忌み子と蔑む中でこの女だけは修羅に温かい眼差しを向けた
──小遣い稼ぎに良く店の手伝いをさせてもくれた。
「戻って来たのかい?」 女は穏やかな瞳で修羅を見る。
「いや……用が済めばすぐ発つ。」
「そうかい……それがいい。」


「そうだ……」 ふと思い付いて修羅は言う。
「髪どめはあるか。……祝いになるような……。」
「おや お前さんもそんな年頃になったかね。」
ふっと笑って修羅は呟く。
「俺じゃねぇよ……残念ながらな。」


街並から遠く外れた森の木立の中
ひときわ大きな墓標の前にようやく修羅はたどりつく。
よぉ兄貴。久しぶりだな……。
跪き 光る翠玉をその墓石に嵌め込むようにして埋めてゆく。
あんたが命かけて守った物だぜ……。


その時急に修羅の頭の中を昔の出来事がかすめ走った。
あれはもうずっと遠い昔の事。まだ剣の重さにふらついていた頃の事。
兄貴は静かな瞳をしてこう言ったんだ……。
「なぁ修羅……。人は何故この世に生を受けるのだろうな。
この世は常に悲しみや嘆きに満ち溢れているというのに
何万由旬の彼方におわすという天の王たる神は
 私達を何故このようにしか生かさぬのだろう。
 ……これは悪かった。お前にはまだ少し難しすぎたな。」

修羅の瞳に寂し気な そして穏やかな光りと影が交差する。
俺はずっと思っていた──あの時この地に居さえすれば
力の限りを尽くしても 死なせる事だけはさせずにおれたと
──俺はずっとそう思っていた──
だが 違ったんだな……同じ事だったんだ……。
修羅は墓標をその瞳で静かにみつめる。
今は……今は幸せか? なぁ兄貴……。



「木晩!」
屋敷の扉を開け叫ぶが あたりはただしんとするばかり。
「誰も居ねぇのか!」
もう一度叫ぶと 暫くして女官が青ざめた表情で姿を現す。
「さっさと木晩を呼べ。」
「木晩様は御父君の御様態をいたく気になさり
 御付き添われたまま御側を離れようとなさいませぬ。」
「……何だと……。」
「修羅様。お願いでございます。どうかただ一度 御父君の元に。
お願いでございます!」
修羅の瞳がぎらりと光る。そして足を踏み入れたかと思うと
女官を薙ぎ倒し 物凄い勢いで床を踏み付けてゆく。

バン! と扉を開け放つと 部屋の真中の寝床の
回りを囲む数人の女官達や医術師達 そうして木晩がこちらをふりむく。
「修羅!」
小さく木晩が叫ぶと 寝床に横たわる
窶れ果てた初老の男の瞳がゆるりと開く。
「……来た……か……。」 絶え絶えの声。
「……あれに話がある……。」
その言葉を聞いた女官や医術師達は次々と立ち上がり
 ゆっくりと部屋を後にする。最後に残った木晩も
握り締めていたその男の手を離し 立ち上がり修羅の真横を通り過ぎてゆく。
その時木晩は修羅をちらと見るが 修羅の銀瞳はその物凄い光りを
ただひとところに集めている。

修羅の後ろで ぱたりと静かに扉の閉まる音がする。
そうしてしばらくの沈黙──。


「……仲々の有り様じゃねぇか。」 にやりと笑って修羅が言う。
すると寝床に天を仰いでいた男は
ゆうるりとその蒼白の顔を修羅の方に向け
にやと笑みを浮かべてこう呟いた。
「……そうか?」

ぞくり……修羅の背に冷やかなものがすぅと走る。
だがそれを隠すかのようにゆっくりと歩み寄りながら
修羅はにやと笑って言う。
「くたばりぞこないが。」
ふ……と微笑んで男はまた天を仰ぐ。
「……お前のその銀の瞳になら映っているだろう……
この部屋のどこかに黄泉の国への御使いが腰を降ろし
その時を待っているのが……。」

「……だまれ……。」 地を這う呟声。
「会いたいと言うから来てやった。話があるというから聞けば
あいも変わらずこの瞳への悪態か……だがこれで気も済んだだろう。
未練残さず往きやがれ……あばよ。」
「……まだ用は済んではおらぬぞ……。」 男は静かに言う。
「ならさっさと言え!」
「私ではない……お前の だ……。」
「……何だと……?」
「お前はそのために来たのだ……私にとどめをさすために……。」


修羅は自分の顔が蒼ざめてゆくのを感じる。
だがすぐに 同じようにやりと笑って言う。
「は……。気が違っていやがるのか。」
そしてくるりと踵(きびす)を返し それからふりかえりもせずに言う。
「哀れな野郎だぜ……。」

その瞬間初老の男は激しく咳き込み
口からおびただしい量の血を噴き出す。
驚きふりむいた修羅の銀の瞳が思わず細まる。
何だ……何て発作だ……まだ……まだ止まらんのか……。
永遠に続くかと思われた発作がようやくなりを潜めた時には
あたりのあらゆるものが血色にまみれその匂いを発していた。

「……お前が……」
男の発した声に修羅は思わずびくりとする。
「お前がとどめをさすまで……私は死ねぬ……。
この苦しみをあと幾度繰り返そうと……私は死ねぬのだ……。」
ごくりと生唾を修羅は飲み込む。
「わかっただろう……やるんだ……。」

修羅は虚ろな瞳でゆっくりと剣を抜く。そうして歩み寄る
──まるで何かに魅きつけられるように。
その剣先を男の鳩尾の真上にぴたりと合わせ、
それから一気に渾身の力を込める。
往きやがれ……!

ビュッ……と血がほとばしり それは一瞬にして修羅の胸を顔を髪を
 そして額に巻かれた太い麻布を斑(まだら)の赤に染め上げた。
その瞬間 修羅の体中を心底の畏怖が走り抜ける。
男は凄絶な苦しみの中で笑みをさえ浮かべ
そうして聞き取れぬ程の声にもならぬような声で
だが確かにこう言った。
「王国来たれり──KINGDOM COME──。」


扉を開けるとそこには心配そうな顔の木晩が立っていた。
だが修羅は木晩を見ない。
「修羅……!」
「……入るんじゃねぇ。」
返り血にまみれた修羅は その血を髪から滴らせながら歩いてゆく。
「用意をしろ……すぐに発つ。」
……そうだ 発つんだ……行くんだ……!




「どうして? ねえさまもきっと修羅に会いたく思っておられるよ。」
木晩の村のほど近くまでようやくたどり着いた時には
あたりは夕闇に暮れ 空には星々が輝いていた。
「しばらく……ひとりにさせてくれ。」
修羅が静かにそう言うと 木晩は一瞬瞳を地に落とし
それからいつものように微笑んで言う。
「……わかった。ごめんなさい修羅。ねえさまにも宜しく伝えるからね。」
「おう……じゃあな。」
そして歩み出そうとして修羅はふと立ち止まる。
「木晩。」
ふりむいた木晩の元に修羅はゆっくりと歩み寄る。
そうして木晩のちいさな肩を 傷だらけの腕でぐいと引き寄せ
その広い胸に一度だけ強く抱きしめる。
それから一瞬の事に驚きととまどう木の実の瞳を
その銀の瞳でじっとみつめ 低い──だが穏やかな声で言う。
「お前はこのまま義姉の元に居るのが一番いい……。
だがもし久遠に来るのなら──」 その瞳がきらりと光る。
「必ず腕の立つ連れの者達と共に来い。」
木晩はにこりと微笑む──いつものように。
そうして じゃあね! と言ったと思うと
 元気良く村の方へと走り去る。


その姿を銀瞳で見つめ 修羅は小さく溜息を漏らし
それから反対の方へと一つ歩を出す。
するとその時懐のなかで 如月への祝いの髪どめが
しゃらりとちいさく音をたてた。


そうだ……あれはもう 闇霞のなかの影の国
俺の生きゆく道は ただひとつ
それより他に道はない……。
そうして修羅は空を見上げる。その銀の瞳に映るは乳白色に淡い月。
だが修羅にはそれは全く違う色に──あの碧のいろに──見えたのだ。
そうだな……兄貴……。そうだな──八雲──。



そうして修羅は歩き始める──八雲と如月の待つ久遠の地へと。
月明かりのなか ただひとり
その生を生き抜くために 歩み続ける──。


 



"shadowland" :冥界・霊界
"kingdom come"(名詞句):あの世・天国


waterfall



-end-




光る刀




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