白銀にまばゆく輝くふわふわ雲 ベンチにでもするかのようにそのうえに それぞれにおなじく白銀の きらめくちいさな二枚の羽根を背に そうして見るもやわらかな 白磁のような短い脚を ぶらぶらと遊ばせながら座っている ふたりのみつかいがおりました。 「あぁ、ようやくだね。 今回ばかりはほんのちょっぴり 骨も折れたことだけれど。」 「ほんとうだね。」 「これでここしばらくはぼくたちも こうしてゆったりとした時を 過ごしてゆけるのだろうね。」 「そうだね。」 下界は遥か足の下 ぶらぶらさせる脚の間より 覗く世界に時に目を遣り、遣りながら ふたりはおはなしをはじめます。 「ねぇ、きみはどうやって生まれたの?」 「これはまた唐突な質問だね。 さぁ、どうなんだろう。 だって覚えていないもの。」 「ぼくもだよ。 気がつけばこの姿に、ここに居た。」 「ほんとうだね。 それから幾年瀬もが経つね。」 「ぼくたちの姿は一向に変わらない。」 「きっとあの御方が創られたんだろうね。 そういうふうに、ぼくたちを。」 「うん、きっとそうだろうね。」 脚をぶらぶら。 背中の羽根の、時にふわ、と揺れるのは まるでわたしたちの、知らずのうちに 眉をふと動かすかのよう。 そう、みつかいたちには表情がないのです。 あまたの天賦の才の筆 そのどれもにも及びもつかぬ美しさの 顔の、顔だけのそこにあるばかり。 かけらの表情もないのです。 「ぼくたちは生まれた時からこの姿に、ここに居る。 天界と、人間界を行き来して あの御方の仰せのとおりに。」 「そうだね、きっとそのために、ぼくたちは創られたんだ。」 「そうだね、きっとそのためだけに、ね。」 このみつかいたちは まるでわたしたちの住む世界の 男の子たちのように自分たちを話すけれども みつかいたちに性の区別はないのです。 ほかのみつかいたちにはきっと 女の子のように自分を呼ぶものも たくさんにあるのでしょう。 「天界と人間界。 そのふたつをぼくたちは 自由に行き来しているけれど 決して行かないところがあるね。」 ひとりのみつかいの ぶらぶら揺れる脚の動きがとまります。 けれども先程も言いましたように その顔には表情の、片鱗さえも 浮かぶことはないのです。 「それはこの、ずっとずっと下のこと?」 「そうだよ。」 「ここより堕ちた者はあっても そこよりのぼりついたもののない あの場所のこと?」 「そうだよ。」 みつかいは答えます。 自然の紡ぐあらゆる音も 溢れ、溢れる才の創る、どんな音の旋律も その前には容色を、失わざるを得ない 美しい、うつくしい声音には こちらも抑揚の変化のただひとつ みることは決してないのです。 「地獄なんて……。 きみは不思議なことを言い出すね。」 それは確かにそうなのです。 天に属するものたちが もしそこに行く事のあるとするならば それは追放より他になんらの意味も 持たなかったからなのです。 「そうかな、不思議なことなのかな。」 「それは、だって。 誰だってあんな場所のことは考えたくもない。 違うかい?」 「そうかな。」 みつかいたちの髪は ひかりの色。 短い髪の頭のうえに幾渦も くるりくるりと巻くさまは まるでそこに金の海の波うつよう。 その絹より細き髪の渦を ひとつふたつといとおしい やわらかに短い指にからませて ひとりのみつかいは言うのです。 「ぼくはね、行ってみたいと思うんだ。」 春の芽吹きの新緑に ぽたりと落ちた雨雫 そのまばゆさも、透きとおるさまさえも かなわぬようなふたつの眸にまなざしに みつかいのひとりはもうひとりを じっと、じっとみつめます。 「それはね、確かに無理なことではないけれど。 ぼくたちの力を使えば、無理なことではないけれど。」 「そうだよ、出来ないことではないんだ。」 地獄。 それをみつかいたちが わたしたちよりも良く知るというわけでは 決して決してないのです。 何故なら先程も述べましたように そちらに堕ちるを命令された 者ならいくらかは居ましたし そうして堕とされゆく者を実際に その眸にみることもありましたが 当然のこと、彼らに戻る術はなく また反対に彼の地より この天界へと昇華した 者などこれまでひとりとして その存在をみなかったものですから。 そうして何より天界に住まうものは それについて話すのを 忌み事のように避けていたものですから。 「もしも地獄に向かうのならば それ相応の姿形に 目を覆うばかりの醜い姿に 自らの身を変化させなくてはならないね。」 「そうだね。」 「もしも地獄に行くのなら そこはぼくたちの聞き及ぶ、場所とは遥かはるかに違う 想像のおよびもつかぬ、ひどい場所かも知れないね。」 「そうだね。」 「命を落とすことだって、あるかも知れないね。」 「そうだね。」 「ぼくたちの今持つこの能力も、何物かに無きものとされ 二度とここへは戻れないかも知れないね。」 「そうだね。」 「そうしてもしも、無事帰還を果たしたとしても あの御方のお許しが下るかどうかは 何より一等わからないね。」 「そうだね。」 また、白銀の羽根が揺れます。 でも、今度はふたりともの。 そのうちひとりの羽根のほうが あんまりおおきくゆらぐものだから ダイアモンドダストにも似た けれどもそれよりもっときめこまやかに美しい 白銀の鱗粉のきらきらと 舞って舞って舞い落ちます。 「わからない? ぼくの気持ちが。」 「そうだね、全くわからない。」 「わからないね、ほんとうにわからない。 ぼく自身にもわからない。 ぼくたちは、何も知らないのだもの。 ほんとうに、何も、なにも知らないのだもの。」 さてこのみつかいは本当に ひとり地獄へと旅立ったのでしょうか。 それとも? それとも? あぁ、そうしてわたしたちは 耳にしたことがあるでしょうか。 地獄へと旅立ちその世界を体験し その眸に見てはその手に触れて その地を歩いてまたふたたび 天へと無事に戻り来た みつかいの、ただひとりとして居たなどと。 すべては白銀の雲のうえ 天空界でのひとつの出来事。 そう片付けるのがらくちんです。 何より一番らくちんです。 でも夕暮れの、茜に染まる雲々より 金のひかりの清流の、滝と流れ落ちるとき そこに天のみつかいの 奥底よりの湧きあがる こころ断ち切れぬみつかいの 旅ゆく姿のような ちいさなちいさな白銀の ただひとつぶの、そのなかに そうしてまた見あげれば雲のうえ 落ちゆくそれをただじっと 見守るようにのぞきこみ みつめ、みつめる同じ姿のひとつぶの ふと見える気の、見えた気の ああ、わたしにはそんな思いがするのです。 |
-end-