作品『LOU』あとがき



何故か「ルゥ」という発音がとても好きな私。当初彼の名前は Louis でした。ちょっと変わった名前にしたくてひねりました。

物語は完璧に「はみだしっ子」のサーザ・グレアム・ダルトンと お父さんのエピソードの影響大です。パクリと言われても仕方が ないかも知れないなあ。

これを書いたのは学生から社会人になっていたかどうか、と云っ た頃で、正に音楽漬け、それから、決してバイリンガルとか、 洋書を難なく読めるとか、そんなレベルではないにしろ、日本語 より英語の方が、雰囲気として好きな頃でした。この物語も英語 感覚で書いていて、あちこちに英文がいやらしく出て来るのはそ のせいです。

知識不足で様々な点で、おかしな部分を露呈しています。

ヤク中の人間があんな風に話せるのかどうか、かなり疑問です。

荼毘に付す事は、英国でもどうやら有り得ます。ホッ(笑)。

「モダン・スクール」は日本で云う中学のようなものですが、日 本とは学校事情がかなり違い、実際はどうもシャールのしたよう な居残りは不可能かと思います。忘れ物を取りに行く、という事 も、まずない事かと思われます。トホホです。

「学校を出る」という表現は、「16歳で義務教育を終える」とい う意味と等しく、これは英国では「卒業」と云わない故に使った 言葉です。季節は夏、期末が夏だからです。

Cain's Foreheadというバンド名は、直訳で「カインの額」。 これは旧約聖書のカインとアベルの有名な物語で、印を、額につ けられた、と、私は記憶しているのですが、何処でそう読んだか 定かでなく、全くの記憶違いなのかも知れません。

この物語の何より最大の難点は、「ルゥには何もない」という言 葉です。彼は芸術家でしたから、Nothing makes nothing.という 諺に反するのです。また英語です、厭ですねえ(笑)でもこの物語 を、好きでいて下さる方がいらっしゃるとすれば、その、「何もな い」という意味を、きっと分かって下さると信じています。

人とは不完全な動物で、愛を学ばねば、それを知らずに生きるのだ そうです。ルゥには音楽を教えてくれる人はいくらも居ても、愛を 教えてくれる人は居なかった。けれども、人である限り、根底では 常にそれを、そうして希望を、不安を、憎悪を、あらゆる感情を、 持ち続けていた筈です。それを、音楽に託して、ルゥは生きたので はないかと、私は思っています。そうしてそれを最期にシャールに 話せた事、シャールが理解した事で、ルゥの魂は救われたのではな いかと、そんなふうにも思うのです。





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