──おおきな樫の木の下、木漏れ陽のなか、遅い午後──
「おう、ここにいたか。」
「やぁ。今日の仕事は済んだのか。」
「おう、夕餉を楽しみにしな。図らずも己れの才能に気付いたぜ。
ここに住みつきこいつを生業とするのも良いかも知れんな。
……坐っていいか?」
「あぁ。」
「……何をしている?」
「靴の革が弱ってきたので、その修復というところだ。」
「……何でも小器用にこなす奴だぜ……。」
「木晩はどうしている。」
「相変わらず、刷り込みされた仔鴨のごとくだ。
この束の間を誰より満喫していやがるのだけは間違いない。」
「……そのお陰で如月は随分元気になった。」
「如月は……あれは何と言うか、強靱なところがあるな。
剣の腕も妙に立つしな。
ガキの頃は親の手を相当焼かせた口に違いねぇぜ。」
「……詳しくは知らぬが如月は
男ばかりの兄弟の下より二人目に生まれたそうだ。
長兄は学術肌の方、如月とは神が性を与え間違われたと
言われ育ったのだと言っていた。」
「……やはりな。」
「御両親や兄上達の溢れる慈しみを一身に受け、その同じ想いを
ひとりの弟にそそぎ、如月は少女の頃をのびやかに
幸せに過ごしてきたのだろう。」
「その瞳そのままに木晩を見るから、ますますあいつが
つけあがるという訳だ。」
「木晩の……家族は。」
「義姉は病身だが父母は健在、家は裕福だ。
無論今となってはあの地とて昔の平穏は望むべくもないだろうが──
あいつは俺達とは違う。何もかもが、だ。」
「……だからこそ共に居たいと、より強く思うのかも知れぬ。」
「……。」
「八雲。聞きたい事がひとつある……厭なら答えなくて良い。」
「……。」
「前に如月が漏らした事がある。
八雲は自らの意志で剣を取ったのではない、そんな気がすると。」
「……久遠にはいにしえよりのしきたりが今も多く根付いている。
そのひとつの故に、という事だ。」
「……ではそれを快楽と感じる事はなかったのか。」
「恐らく……。」
「その強さを誇りと思う事もか。」
「彌勒が年端もゆかぬ頃、私を誇りに思うと語ってくれた。
その時救われる思いがした──。」
「……そうか……。」
「俺は……剣が好きだった。それこそ救われる思いだった。
まるで何かに憑かれたように闘う相手を捜しだし
そして時には……噴き出す血や肉の切れる感触を
ただ味わいたいと思うことさえあった。」
「……剣の光る刃には天魔波旬がひそみ、その魔に抗う事はできぬ。
それを是とするも非ととるも、惑わされている事にかわりはない。
剣を持つ身にはお前にも、私にも全く同じように
それは永劫つきまとう。」
「……魔……か。」
「冥王の前に立つその時に、初めてそれから解き放たれるのか
それは……分からぬが。」
「……。」
「……どうした?」
「いや……天の王ならばともかくお前が冥王とまみえるなどとは
いかにも似つかわしくないと……いや……
いや……そうか、成程な。」
「何を笑う。」
「俺は前から気に入らなかった。
お前の体はその満身を、大の男が見ても一瞬ひるむ程の傷跡に
埋め尽くしているというのに、その顔だけには星粒ほどの傷もない。
だがこれでわかったぜ。」
「……。」
「お前は魅入られているんだ──冥王神にな。」
「なぁ八雲、これで筋が通ると思わんか。
冥王神はわけても誇り高き神。お前が瞳前に立つ日を夢見はしても
下らぬ身まかりでもされた日には味も落ちようというもの。
そこで俺の登場だ。」
「……。」
「お前を立派に冥王神様の元に導くよう使命を受け遣わされた
そいつが俺という訳さ。」
「……お前は本当におかしな男だな……。」
「は。何だか少しは気分が晴れた。
その修理が終わればひとつ手合わせ願えんか。
何なら明日の魚採りを賭けても構わねぇぜ。」
「あっ見て如月姉様、また修羅ってば八雲兄様に剣の勝負を挑んでいる。
八雲兄様相手じゃあ、勝てるはずなどありっこないのにね。」
「八雲は言っていた。修羅はまるで成長期の少年のように
とどまることを知らずにのびてゆくと。
何より八雲の強さはその精神の在り方に大きく左右されるから
相手が修羅とあっては──八雲もあれで結構本気で
挑んでいるのかも知れないよ。」
「……ちっ。」
「続けるか?」
「……もういい。」
「お前の振り降ろす太刀の威力は凄まじい。その初太刀でたいていの
者なら体勢を崩すだろう。二の太刀で勝負はあったも同然、
今までそうして来たのだろう。それ故脇が甘く護りが弱い。
それに留意する事だ。」
「……次は必ず倒してやるぜ……。」
「八雲兄様、こっちだよ!」
「やぁ木晩。……如月。気分はどうだ?」
「もうすっかり良いんだ。明日からはちいさなものなら
固形のものも食して良いと術師様が言って下さった。」
「明日。それは良い。明日も良い魚が採れる。
そうだな、修羅?」
「……ふん。」