春─淡墨(usu-zumi)





“なぁ……しあわせって、何だと思う?”
“出たぜ出たぜ……カイの十八番。”
“全く、哲学講座かよ、っての。”
“俺達みたいにステキな仲間が居て、オマケにサキちゃ──”
“そうだぜお前! 顔見ろ顔! 
それで良く咲希ちゃんみたいな……。
それだけでも、もう、人生大感謝、大幸福だろが。”
“……そりゃあな、俺だって、お前等とか
咲希と居る時は楽しいさ。
でもな、寝る時、電気消すだろ。
一瞬、闇ん、なるよな。
そしたら、ふっと、そんなのが全部、
本物なのかな、幻じゃあ、ねぇのかなあ、……って。”




桜の木の根っこには、屍体が埋まっているなんて
云った奴が居るらしいが
カイは正に満開の、江戸彼岸の桜の下で
十七歳の生涯を閉じた。


一本桜カーブ、
俺達バイク仲間は、そこをそう呼んでいた。
ここから約一時間、山道に次ぐ山道、
ゆるやかな下りのストレートが延々と
続いた後の、急カーブ。
ガードレールの下は真っ逆さまの谷。
そのガードレールより、谷に向かってほんの先
桜の巨木がただ一本。
最初は白い、点にしか。
それがあっという間に爛漫と
咲き誇る桜だと
分かった時にはもう遅い、
一体何人がここで命を落としたか。

あの桜は魔性だとか
次の“供物”を待ち続けてるとか
馬鹿げた噂を笑い飛ばし
春が来て、凍結路がゆるむのを
待ちに待っては
次は俺がトップだと、俺達にとっては
タイム・トライアル・レースの
恰好の場所だった。


前日に、気象観測史上二位の
寒の戻り、と、ニュースが伝えていた。
知ってるさ、ここの桜、大のお気に入りだったのは。
たった一本、尊厳さえ感じさせる風情じゃねえか、って
お前、いつも、言ってたもんな。

散り際、見ておきたかったんだろう、けどな。
花なら、来年になりゃあ、また、咲くじゃねぇかよ……。

結露に因るブレーキその他制御不能、
ガードレールに激突時の時速約105km/h、
一瞬にして大破した車体より
体躯は大きく弾き飛ばされ、宙を舞い
桜の大木の、幹に背後より激突、
その元に、崩れ落ちたと。
頸椎その他骨折八カ所、内臓破裂に脳挫傷、
ガードレール衝突の際、意識不明となって
苦しみは一切味わってはいないだろう、とは
葬儀参列者の、せめてもの慰みの言葉。
実際、眠っているかのきれいな顔していやがって。
ええ、カイ、この、大馬鹿野郎がよ。

こんな時には付き物の、
自殺説も当然のように流れたが
そりゃあ、あいつの馬鹿っぷりと来たら
相当なのは、俺達御同様、って処だが
流石にそこまでじゃあない、それだけは保証する。
ただ、ちぃとばかし度を超した、
ロマンチストだった、ってだけだ、
全く、顔にも似合わねぇ癖しやがって。
第一、 あの咲希ちゃんを置き去りに
一人逝くなんて、どこをどう考えたって
有り得ねぇ話だろうが……。


あれから二年、
この一本桜の咲くのも、二度目なんだろうな。
……悪かった、今まで、ここに来れなくて。
許してくれな……どうしても
どうしても、そんな気になれなくて。


驚けよ、お前。
俺、工芸大に一発合格したんだぜ。
自分にだって信じられねぇ、お陰で今や
大手振って大学生だ。

リキも、シュンも、ガクもヤスも
皆、元気でやってるぜ。
……バイク、手放した奴も、居るけどな。

お袋さんな、胃の方の術後は、随分順調だって聞く。
……まだ、俺達に会うのは……耐えられそうにもないけど、な。
それから工場は、お前の姉さん夫婦が
継ぐ事に決まったみたいだ。

咲希ちゃんは……最近、ラガーマンと付き合い始めた。
……俺の姿、見たらな、泣くんだよ。
いつだって、いつだって、
終いには泣き喚いて、
何で、俺が生きてるのに、って……。
悪かった、本当に悪かったと思ってる。
俺は全く、なんにも出来ず、無力だった。
総合病院精神科に、結局一ヶ月くらい入院して
それから後も、薬はずっと
もらいに行っていたらしくて
その時に、同じ部員の怪我見舞いに来ていた、
そいつと知り合ったらしいんだ。

いい奴だぜ、俺も二度ばかり、会った事がある。
やっと、やっとだぜ、咲希ちゃんに笑顔が戻ったんだ、
お前もさぞ悔しいだろうけどな、
まぁ、これでも飲んで、堪えろや。

ぷしゅ、と、アルミ缶を開けると、
ここぞとばかりに白い泡と、
黄金の液体が、盛大に飛び散る。
くそ……バイクに随分揺られたからな。

お前、好きだっただろ、未成年の癖に。
まぁ、俺もだけど。
じょぼじょぼじょぼ……。
苔むした、根元にかければ、
白い泡がたって、なんだか小便みたいだ、はは。
もう一本。
じゃばじゃばじゃば……。
一緒にやりてぇけどな、俺、帰りもあるから。


手に触れれば、ごつごつの幹。
冷たい。生きてるなんて、思えない。
あちこちに、削り取ったような傷跡。
……馬鹿野郎。馬鹿が。

花びらが、舞う。


なぁ、ひでぇと思わねぇか。
この道、なくなっちまうんだぜ。
山、刳り貫いて、直線道路、通すんだとよ。
そのあと、ここ、どうなると思う?
伐り拓いて、テーマパーク造るとか。
有り得ねぇよな、せめてこの
樹齢200年を優に越えるって云う、
江戸彼岸の一本桜は移植樹するだろうと
思っていたら、
あまり縁起の良い代物でも、と
満場一致で伐採決定したと、
こないだローカル・ニュースで云っていた。


その言葉の終わりを、待つかのように
谷底より、凄まじい突風が
ごぉぉ、と響いて舞い上がり
辺りの木々のざわめきもさることながら
噴き上げられた、桜のはなびら、ものすごく
それでも、当然のこと、天上に昇るは許されず
一瞬に、事の止めば
ゆうるりと、ひらりひらりと、降りて来る。

……な、なんだよ、今の……。

坂を上り
ガードレールをまたいで出る、道には
まるで斑のように
そうして、少し離れた見晴らしの良い
場所に停めたバイクの上にもまた、桜の。




『おまたせしました!“ワンダー牧場”
お雛祭りを記念に、堂々開園!』
あの場所から、15kmは離れた家にも、
チラシが入る、TVのCMにも流れる。
あれからまた、二年、経ったんだな。

開園直後の混乱も、恐らくは
一段落しただろう頃、
ぶらりと出かけてみた。
だだっ広く整地された場所の、
あちこちに、馬だの、羊だの、鳥だの、豚だの。
こっちにカート場、あちらに乗馬場。
丸太小屋風に作られた、レストランや休憩所。

並木となるように、植樹されたんだろう、
染井吉野は、ひどくか細く、
今爛漫の季節なのに、まだこれが精一杯と
まるで見ているこっちが気の毒になるような。

へぇ、こんな平日、こんなド田舎にも、
結構、ガキ連れの奥様連中で賑わうんだ。
そう云やぁ、大学の女の子も、今は皆
二十歳を待ち望んでは免許取得して
クルマの運転、楽しんでるもんな。

そうだ、確か、この“ワンダー牧場”とやらの
建設と同時に、3kmばかり離れた処に
一大新興住宅地が開発されたらしいから
そこのガキ達の、恰好の遊び場なのかも知れないな。

それにしても
あの場所がどの辺りか……
こう伐り拓かれたんじゃあ、なかなか見当も……
だいたい、この辺りかな……。


ぼんやりと、柵にもたれかかって
乗馬楽しむ姿、眺めていると
途端、膝裏辺りに違和感を感じた。

なんだ、ガキじゃねえかよ。
驚かすなよ。
おい、俺の、バイト代全部つぎ込んだ、
自慢の総革ライダースーツの膝裏を、
そう、強く握り締めんなって。

「おう、坊主。どうした?」
「い……お……う……き。」
「あぁ? 何だって?」

ガキの、膝裏つかむ、やわらかい手をそっと外して、
目線の高さを合わせる為に、屈み込む。
へえ、至近距離で見りゃあ、可愛いもんじゃねぇか。
ほっぺなんか、ぷくぷくしてよ。

「い……よ……い……き。」
う〜ん……さっぱり分からん。
こいつはお手上げかな。

ガキは元々、好きでも嫌いでもない。
ただ、身辺に、見合った年頃の奴が居ないだけで。
……何だ、急に思い出した。
そう云や、あいつ、面白い事、言っていたな。


“姉貴んちのガキな、面白いんだぜ。
今、二歳半なんだけどよ、時々、信じられねぇ、
一体誰に教わったんだよ、って言葉、喋るんだってよ。
しかもな、そん時に限って、なんだかとろんと、
そうそう、催眠術にかかったような目付きになるんだと。
それでな、ちょっと気味悪い、って、
定期検診か何かの時に、産婦人科の主治医に話したら、
何でも、三歳児までは、胎児として、子宮のなかに居た時のこと、
鮮明に記憶している、って説があるらしいんだよ。
ただな、それを表す術を、知らんだろ?
だからな、そう云った、不思議な現象が
起きるんじゃねぇか、って。
良く聞く話だから、心配ないですよ、なんて
言われた、って、笑ってたけどな。
……俺は、甥っ子のその場面って、見た事ねぇんだけど。
なんかな、ガキって、ある意味、神秘だよな。”


見ればこいつも、それ位の年格好か。
神秘かも知れねぇが、とりあえず迷子係は御免被りたい。
「なぁ、坊主。お母さんは、どこ行った?」

今度は片手に、スーツの右の、二の腕あたりを
ぎゅっと掴んで、
その、反対の手で、あちらの建物を指す。
「あぁ、トイレか。
じゃあここで、一緒に待ってようぜ。」
「ん〜。」
はは、ホント、可愛いな、
黒目がこんなにでかくて、うるうるしててよ、
そんなじっと、見つめんなって。

「お前、名前は?」
「か……かずま。」
「おう。ちゃんと言えるんじゃねぇか。
カズマか。カッコいいな。」
「ん〜。」
「年は? いくつだ? カズマ。」
「ん〜と、ね。」
スーツを握っていない方の手の、
ぷよぷよの、小魚のはらわたみたいな指を
ある形にしょうと、懸命に。
「おう。三つかよ。えらいな、カズマは。」

その時。
「カズマ、一馬!」

走り近づいて来たのは、どう見ても
俺より多少は年上かとしか思えない、ジーンズの良く似合う。
……いやいやいやいや、相手は人妻だって。

「ちゃんと出口で、じっと待っていてね、って、
あれほど、言ったのに、この子ったら!」
すい、と、随分重いだろうに、事も無げに
抱き上げる。
おしりのあたりを、軽く、ぽんぽん、と。

そうしてすぐに、こちらに振り向けば、
「すみませんでした、この子がご迷惑を。」
「あ、いえ、そんな、全然。
お利口だったよな、カズマ。」
そう言って、くしゃくしゃと、無造作に、
母の腕に、抱かれ安堵に身を任せるままの
カズマの頭を撫でる。
ふわふわの、羽毛のような、髪。

「あれあれ、一馬ったら、良いんだ。」
「カッコいい名前ですよね。
それに、もう三歳なんだよ、なぁ、カズマ。」
「あぁ、あと二週間先の、お誕生日が
来たら、なんですけれど、この子ったら。
……父親が、大の馬好きで。
だから、有無を言わさず名前も一馬で、
ここが出来ると知ったら、もう矢も楯もたまらず、
下の、住宅地に引っ越して来て。」
照れるように微笑む笑顔、
抱き抱えるカズマを眺める、えも云われぬ慈愛の表情、
なんて、春に、似合うんだろうな。

「あぁ、そう云えば、俺の連れにも居ましたよ。
親父がすげぇサーファーで、一も二もなく名前を、カ──」

その瞬間、また、一陣の風が吹き荒れた。
なるほど、年の頃ならまだ三歳か、そこらかもなの知れない、
お飾りのように、ようやくに
つけたかすかな花びらを、舞わせる桜の苗木。

「……海と。」

どうしたんだ……俺……。
なんだ、なんだ、この、奇妙な感覚。

「ひどい突風。春嵐なのかな。」
「……この辺りは、山の中腹だから。」
そう、切り返すのが精一杯。

「じゃあな、カズマ。」
もう一度、羽毛の頭を、くしゃくしゃと。
すると、その、小魚のはらわたみたいな
やわらかくてちいさな指で、
ぎゅ、と、結構な力強さに、俺の人差し指を握って来た。
「あれ、一馬は、お兄ちゃんが大好きだね。」
思わず、笑みが漏れる。
「将来は、騎手か、オリンピックの選手だな。
な、お前、しあわせだな。」
「……しやわせって、なに?」
少し、顔を傾け、じっと、その、
黒目のおおきな、うるむ瞳で、
俺を、みつめながら。

「あは。」
微笑む、若い、母親の顔。
だが俺は、その時、どんな面、さげていた事やら。




パソコンの中のデータに、
今もカイは元気に笑っている。

真っ暗闇の、部屋のなか
パソコンの、青白い、光だけが煌々と。
光のなかを、紫煙が泳ぐ。


“なぁ、ヒロユキ、お前なら言ってくれるよな?
信じる、って、言ってくれるよな?“
“まぁた始まったぜ、今度は何だよ、ええ? カイ。”
“輪廻転生。輪廻転生は、ある、よな?”
“う〜ん……さぁなぁ……。俺、死んだ事ねぇし。
でもな、なんか、そういうのって、ある気がする。”
“だろ? だろ? 当然、何となくだけどな!
それにな、ほら、前に話した、三歳以下のガキん話。
あれな、胎児の記憶じゃあなくて、
前世の記憶、って、説もあるらしいんだぜ!
いやぁ、やっぱ博之、お前はいつも、一味違うぜ!”


四十九日……十月十日……二週間後に三歳。
計算は、見事に合致かよ……。
おまけに、ガキの、カズマの、
最初に発した、あの、“名前”。


はは。
しかし、笑っちまうよな。
もし、もし、そうだとしたらだぜ、
気の毒なのは、カズマの父親だよな。
どんなに、ガキの頃から、馬、仕込んでも、
自由意思が芽生える頃には、あらぬ方に
まっしぐら、だぜ。
何せ、前世たるや、
5歳の時からサーフィン漬けが、ころっと
寝返っての、バイク三昧だもんなあ。

……それとも、前世省みて
今生は父親の、思い通りの人生、歩むのかな。
いやいや、そんな、やわなタマじゃねぇ筈だ。
第一、 あいつ、ガキの癖に
結構な、負けん気強そうな目、してたしよ。
カズマはカズマとしての、人生、ちゃあんと歩む。

そうだろ?
なぁ、カイよ。


また風が強くなった、窓を急に、
どんと、叩きつけるような、風。
まるで生命の息吹、ぶつけるような。
今年の桜も、これで終わりだな。
でも、また来年の、今頃には咲く、
またその次も、その次も……。

……ははぁ、そうか、分かったぜ。
お前、腹、立ててるんだな。
俺がいつまでも、こんなだから。

画面が滲んで、どうしようもねぇのは認めるが、
これはな、煙草だ、タバコ、こいつのせいさ。

……分かったよ、分かったから、一度だけ。
一度だけ、怒鳴らせてくれ。
本来なら、殴らせろと言いたい処なんだが。
ともかく、それで、きっぱりと、ケリ、つける。


パソコン消せば、一瞬に、真っ暗闇。
そのままベッドに潜り込み
布団を頭から被った、土竜になって。

……ケリ、つけるんだから、言っていいよな?
何があっても言ってやるかと思ってたけど。


お前が、俺の、しあわせだった。
幻なんかじゃねぇ、きっと、
俺にも、一杯ある、そのなかの、
ひとつの、しあわせだった。
それはこれから先、どんなに経っても、
ずっと、きっと、変わらねぇ。


じゃあ、いくぜ。

「……カイのクソ馬鹿野郎がぁぁっ!!」



窓がまた、風に軋んだ気がしたが
何せ布団蒸しの芋虫だから、
確かかどうかは、分からない。




-end-



Copyright(c)2009 moon in the dusk All Rights Reserved.
著作権に関する考え方については こちらをご覧下さい


back novel home