「見えて来た……!」 鏡を覗き見れば、そこには見事なブロイラーが映し出されるに違いない、 そんな、文字通りお腹一杯の、十数時間の後、待ち望んだ、待ち望んだ 歓喜の声が、ヒースローを目前に、あちらこちらより上がる。 ちいさな縦長の楕円形の窓より、眼下に広がる街並みは、もう、何百 回、いや下手をすれば千の位にさえ手も届く程、本で、雑誌で、写真で、 見ただろう、あぁ、本当に全くに、面白いように、そのままだ。とうと う、とうとう、やって来た。本来ならば、その感慨に打ち震えるだろう。 でも私は違っていた。 「帰って来た。」 本当にそう思ったのだから仕方がない。 ブリティッシュ・ロックに染まり、英国に限りない憧憬を抱き始めて、 丁度十年の時を経ていた。その間に、恵まれた環境にある友人達は、 次々と彼の地を踏む。生活の場を、そちらに移す者さえ現れる。その度 に、それを許されない立場の自分を呪い、憧憬はますますに深く、深く に、ある意味合いには病的と云えるまでに、それは奥底に根を張り伸ば し続けていた。 ようやくに叶った夢。与えられたのは、七月末より八月一杯、いわゆ る夏休み期間、40日間の、自分と連れ、それだけが頼りの、自由な時で あった。 私は此処に、観光に来たのではない。ただ、この地を踏みたかった。 空気を吸いたかった。自分をここまで夢中にさせた、人生を変えたと 云ってさえ何の過言もない、その音楽が生まれた地が如何なる処か、そ れを、ただ、感じたかった、肌に、こころに、脳に、全てに。だからこ そ、ここで、生活の、それが許されないならば、その真似事を、是非と も、してみたかった。 故に、旅行者向けではない、そこに暮らす人の為の、家具付きのフ ラット(アパート)を借りた。ロンドン南西部、中流家庭の住宅地、最 寄りの地下鉄駅には三本のラインが走り、しかもそこより徒歩5分。短期 間契約故かなりの割高、出せる金額の上限ぎりぎりに、条件としてはま ず、申し分のないと思える物件を、既に日本国内より予約済みであった。 後は、そこに自力で辿り着くまで。 ロンドン中心部の地図など、鼻の頭を押せば、口からそれが見事印刷 されて出て来るのではないかと思う程ではあったけれど、さて、となれ ば、地下鉄の切符を購入するのさえ、いやその前に、どのコインがどの 金額なのかさえ、という三歳児並の知識しかない。と、ふと建物の前を 見れば、“Wimpey’s”の文字が飛び込んだ。途端に感極まった。 “ウィンピー”は、漫画“ポパイ”に出て来る、いつもハンバーガー を食べているキャラクターの名前だ。そこまでは辞書で調べれば分かる。 だが、当時一番に耽溺していたバンドの歌詞に出て来るものは、それで は意味が通じない。ある時ほんの偶然に、それがイングランドに存在す るハンバーガー・チェーン店の名前だと知った、往時の感激が一瞬にし て蘇った。これは食べなければ嘘だろう。 昨今こそ、随分と“緩和”されたとの声も四方より届くが、英国の食 べ物の不味さは想像を絶する、と云うのは最早常識でさえある。大英帝 国が七つの海を制覇出来たのは、その、感覚が麻痺しているとしか思え ない、舌の恩恵故との説さえあると聞く。ウィンピーのハンバーガーと てその例に漏れず、最大の調味料である、“空腹”の助力も虚しく、よ うように食べ終えた私の目は、もうひとつ違う意味合いを増し、潤み続 けるのであった。 とにもかくにも、見様見真似でまずまず問題なく辿り着けたフラット の、一階に住む大家さんは、パキスタン系の混血かと思われる、大柄の、 笑顔を絶やさない女性ではあったが、流石にその表情の奥に、こちらを 伺う物腰は隠せない、それはこちらとて御同様。豪華な家具の、処狭し と置かれた部屋の、やはり瀟洒なソファに、ちょこんと座るポメラニア ンに視線を奪われ、わぁ、可愛いですね、犬、大好きなんですよ、と、 思わず、つたない英語に口走れば、途端に、大家さんに浮かぶ笑顔より、 作られた仮面のみが砕け散る。あぁ、犬、常に我が友たる犬。 にこやかに案内された部屋は最上階の四階で、このフラットは、憧れ のジョージ王朝時代の出窓付き赤煉瓦ではなく、ビクトリア王朝のもの と想像されるが、どちらにせよ、上階に行く程天井高は低くなる。それ でも日本家屋と比較すれば格段に高い天井、そして、キッチンは三畳程、 備え付けの調理器具、料理道具一式に加え、各部屋に置かれた家具も全 て、豪華とはお世辞にも云えない、どちらかと云えば質素なものであっ たが、続き間となるリビングと寝室は、どう少なく見積もっても前者が 十二畳、後者が十畳はあり、バスルームに至っては六畳は下らない。自 慢ではないがここだけで日本の自室より広い。あぁ我が国の家屋を兎小 屋と称した西欧人をどうして責められよう。それにしても明日、いや正 に今から、こんな広い場所で用を足すのか。すぐ横には、小さなベラン ダに続く窓さえあって、思い切り丸見えなんだが。恐らく、壊れ穴でも 開いているのだろう、樋からぼたぼた落ちた水の溜まった、苔さえ生し たベランダに、鳩が二、三羽も飛んで来ては居座り、ぽぉぽぉ鳴いて、 あっ! お宅どちらさんで、と言わんばかりに今、思い切りガン飛ばさ れたんだが! 通りに面する、リビングの窓から景色を眺めれば、丁度そちら方向に も道が続き、同じ形式の、濃い灰色の煉瓦に白い門柱の眩しいフラット が、少し湾曲した道に沿ってずらりと並ぶ。同じように並び生い茂る街 路樹の緑が本当に濃い。ここがイングランド、憧れ続けた土地。灰色に 沈み、陽光の殆ど差さない空の元、こんなにも日本と景色も、湿度も温 度も違うのに、さしたる感慨も湧きあがらないのは、ただ、実感を伴わ ぬ故か、それとも憧憬の内にも確固として残り燻る、今後への不安の所 為か。 こんなに運が良くて可いのだろうか、探索に出た途端、道路一つ隔て た、徒歩一分半程の処に、当時イングランドで一番の大手スーパー、セ インズベリーの、しかもかなり大規模なものを発見した。食料品は無論、 生活必需品はほぼ全てここで揃えられる。 イギリスの食パンは日本のサンドイッチ並の薄さに予めカットされた ものしかないのを知った。りんごもじゃがいももダイナミックに山積み で、どれも日本のように小綺麗ではなく、好きなものを好きな個数だけ 買えるのも知った。タイ米が普通に売られているのも知った。鮮魚が切 り身にされず、そのままの形状で氷の上に寝そべらされており、その魚 売り場と洗剤売り場が何故か隣合っていて、強烈極まる匂いの決闘を繰 り広げていても、そういう事には全くお構いなしなのも知った。そうし て、ペットボトルの水には、スパークリングとそうでないものとがある のも知った。 イギリスは、西欧には珍しく水道水が飲料に適する。ただ、不味く、 匂いもきつい。異常に石灰分が多い硬水の故で、透明のコップなどは一 日で見事に白濁する。そのお陰で紅茶が美味しいのだが、やはり無味無 臭の水が飲みたいではないか、料理だって、それでしたいではないか。 メーカーがあり過ぎて、どれがどれだか分からないが、とりあえず、と、 買う物買う物全部スパークリングって、これは何かの呪いか。自分達の 英語力は思い切り棚の上に、それでも六本目にしてようやく“ただの 水”に出会えた時は冗談抜きにその場、つまり四階のキッチンにへたり 込みそうになった。水、それこそ生命の源。 電気コイルのコンロは慣れるまで大変だったが、朝食はパンと卵焼き にサラダ、昼食はそこかしこにあるファスト・フード店で済ませ、夕食 は日本食店で購入した米を炊いて適当なおかずを作って食べる毎日。な にしろコンビニや駅売店等で購入するサンドイッチが、一体どこをどう すればこんな味に出来るのか、却って不思議な程に不味い。ドーナツは 熊の餌かと訝しむ程に馬鹿でかく、砂糖の塊より甘い。翻りベーコン エッグは塩の塊より塩辛い。 マクドナルドにこれ程感謝する日が来るとは想像だにしなかった。同 じくハンバーガーショップで、サラダバーのある、“Wendy’s”には、 それ以上にお世話になった。どちらもちゃんと食べられる味。それがこ こでは最大重要事項。 そんな英国食事事情であるのに、どうした訳か、スーパーで普通に購 入出来る、紙パック入りのオレンジジュースと牛乳が信じられない程に 濃く美味しかった。りんごや野菜類も、新鮮で味わいがあった。また恐 らくは多く住むインド系の方々目当てのものなのであろう、冷蔵のカ レー、タイ米付き、これが大当たり、大変美味で、種類も幾つかあり、 三日に一度位はこれを夕食としていた気がする。 台所に付随していたドラム式の謎の機械が洗濯機だとは、とうとう最 後まで理解に到達せず仕舞いであった。スーパーで買った洗剤を、バス タブに張ったお湯にぶちまけて、そこで手洗い、すすぎ、絞って、用意 周到に日本より持ち来た洗濯縄を張り巡らせて干す。壊れた樋付きのベ ランダを水飲み場にしているに相違ない、毎日のようにやって来る鳩が、 くるる、と、泡まみれに奮闘する我々を、嘲笑うかに鳴く。ふふん。 夏と云っても最低気温が12度位には落ちるロンドンの事、バスルーム には自然とヒーターが入り、これに乗せておくとあっという間に渇く事 にも気付いた。 バスのお湯が時々止まった。要するに水になる。こういう事はよくあ ると聞いていたが、シャンプーの途中に止まるのが一番の難儀で、先述 の通り夏とは云え結構寒く、そんな時に限ってヒーターも付かず、付け 方も分からず、何度も震えながらベッドに飛び込んだ。ちなみに掛け布 団は毛布付き。夏なのに。 シャンプーと云えばこれも現地調達で、日本にも知れ渡るメーカーの ものなら安心だろうと使用したが、シャンプー、コンディショナー共に 成分が随分と違うのか、水質の所為か、恐らくは相互作用であろう、髪 が経験した事のない、ガシガシ具合の様相を呈した。悲しかった。 今のようにネットもケイタイもない。親を安心させる為に五日に一度 あたりを目処に実家に電話をする。あぁ、憧れの赤い公衆電話ボックス。 大抵壊れていて使えない、と、ツアーガイドブック等には書かれていた が、実際はそれ程でもなく、ただ単に、密室に入るのが怖いという理由 から、駅などの公衆電話を良く利用した。こちらも壊れているものもあ る、といった程度。 届く声のタイムラグ、恐ろしい早さで落ちてゆくコイン。それでも会 話は問題なく出来る訳で、本当に自分は今、地球の裏側に居るのだろう か、やはり沸々とした実感が湧く、という感覚からは程遠い。 毎日のように、少しずつ散策の範囲を広げてゆく。地下鉄に乗れば あっという間だが、ぶらぶらと周囲の景色を楽しみながら歩いても、20 分強で有名なハイド・パーク、隣接するケンジントン・ガーデンズに辿 り着く。こちらに乗馬を楽しむ姿があるかと思えば、犬があちこちで駆 け回り、代わりに幼稚園児程度の子供がリードに繋がれ、家族で散歩を 楽しむ姿のあちこちに。ああ大人の国、犬の国、英国。幸せそうな犬達。 その姿は、やはり日本人には多少なりとも異様に映るものの、繋がれて いてもやっぱり幸せそうな子供達。 裏庭よりない、フラットの立ち並ぶ住宅地のあちこちには、小さな私 有地として、見事な緑の芝の間があり、それらは施錠されたフェンスの 門に鎖されているのが常だが、中には無骨な木のベンチと、美しい芝よ り他に大抵は何もなく、時にお年を召した方が杖をついたままに、鳥の 囀りを楽しんででもおられるのか、ベンチにじっと座っておられたり、 読書をされていたりする。そんな光景に、本当にこの国の人は緑を愛し ているのだ、自然を友としているのだと、つくづくに思わざるを得ない。 中には入れなくとも、その美しく手入れの行き届いた緑の芝は、通りを 行く人の目を心を癒す力を充分に有する。そうして何処を歩いていても、 鬱蒼と茂った街路樹の緑が本当に深い、埃っぽく、いつも澱んでいるか の空気や灰色の空模様を浄化してくれているかのように。一日に四季の 移ろい全てを感じられるという英国の気候、夏さえ陽の充分に照らず、 霧雨の、降っては止み、止んでは降る、それがこの、緑の濃さのなせる 所以と知り、なんとも自然の懐の深さ、或いは収支決算の見事さ振りに は舌を巻かずにおられない。 そんなある日、到着して一週間目程も経っていただろうか、いつもの ように、最早歩き慣れた、地下鉄からフラットへの道、味も素っ気もな い、四角いコンクリートを敷き詰めただけの石畳の道を歩いていると、 途端に、一瞬にして、「自分は今確かにロンドンに居る、日本の裏側を 歩いているんだ。」という感激に襲われた。襲われたが最後、身体に震 えが来て、涙が滲み来るのを押さえ切れない。ものの一分も続かなかっ たであろう、この急激な感情の波の出所が何処にあったのか、慣れから 来る、不安の抹消から生じたものであったのか、今も全くに分からない。 ジョニー・ロットンであったか、来日時に、「東京は一体どこまで東 京なんだ。」と、あまりの広大さに呆れ言い放った、という逸話がある が、実際ロンドン中心地は驚くほど狭い。恐ろしい騒音を撒き散らしな がら走る地下鉄、俗称“Tube”はその名の通り天井の両端がカーブを描 いていて、しかもかなり低いので、大柄な英国人にはいかにも窮屈そう だが、地上をあちこち走り回る有名な赤いダブルデッカーであれば、バ ス番号を余程はっきり認識しておかないと、どこに連れてゆかれるか分 からない不安があるのに対して、“ぽっと出”の外国人にとって、これ ほど便利な乗り物はない。ラインが縦横無尽に走っている為、三層程深 さに差違が生じる。エスカレーターとリフトの両方を上手く利用し対応 させているが、エスカレーターの速度がともかく異常に速い。子供はあ れで大丈夫なのだろうかと、人ごとながら心配になる程に。 “Stand right”とあちこちに書かれたエスカレーターでは、急ぐ人は左 側を歩き、そうでない人は右側に立つ。これは何処でも徹底的に厳守さ れていて、隙のひとつもなくカッコ良く決めたパンクロッカーであろう が、ターバンを巻いたインド人であろうが、ジェントルマンたるジェン トルマンとはこういう男性を指して言うのであろう、という人種であろ うが、変わりはない。成熟の国、英国が此処にも。 地下鉄の発展は長い地下道を当然のごとくに必要とし、それら地下道に はあちこちで様々な楽器を演奏する人が居る。クラシックの多いのが意 外であった。ヴァイオリニストならそのケースを開け、前に置いて立ち 姿に演奏する。大抵巧い。立ち止まって聴き入る人は少数だが、通りが かりに小銭を丁寧な手付きに投げ入れてゆく人の多いのに驚いた。そん な地下道にさえも出入り禁止の、物乞いの方も入口には良く見かけ、護 身用でもあるのだろう、立派な純血種の大型犬と共に座り込む、その前 にも多くの小銭が投げ込まれていた。 成熟と云えば、ロンドンを行き交う人々は、ほんの軽くであれ、身体 に接触すれば必ず”Sorry.”或いは”Excuse me.”と一言謝罪の言葉を 発する。これもまた、人種、年齢、性別、恰好に関わらず、少なくとも 私が遭遇した人は全てそうであった。ほんの少し肩辺りが接触しただけ で、”Sorry.”と、金髪碧眼、眉目秀麗を絵に描いたような男性に、低 く透き通るような声で呟くように言われ、思わず、ぼぉっとしていたら またぶつかって、次々”Sorry.”の嵐。嗚呼、何て大人の国、英国。ガ キな、私。 ポートベロ、コヴェント・ガーデン、カムデン・タウンと云った、有 名な蚤の市には毎週のように出かけ楽しんだ。想像していたよりもずっ と“小汚い”。が、アンティーク調のアクセサリーが日本と比較すれば 格段に安い。しかも、どれもこれもが可愛らしく、こちらの嗜好のツボ を、測ったかのように正確に押さえて来る。 自動販売機は速攻で破壊されるとの理由で殆どなく、缶入りコーラ等 も手売りされているが、おしなべて生ぬるい。ビールを常温で飲むお国 柄故か、それとも単に、やっぱり味に関して横着なのか。 違法なのだが、様々なミュージシャンのライヴ音源がカセットテープ として売られていたりもした。日本では入手困難であったり法外な値段 であったりするピクチャー・レコードなど品揃えも豊富で、結局大きな 段ボールひとつ分位購入した。遠い未来、つまり今現在、著作権問題に 自分が直面する等とは当然、露ほども思わず。因果応報、恐るべし。 カムデン・タウンの建物の地下に、ちょっとしたジャンク・フードの 売り場兼休憩所のような場所があり、そこのテーブル付き椅子に座って 休んでいると、恐らく15〜6歳程度であろう、二人の白人の女の子が同席 して来た。一人はヘイゼル、もう一人はブロンドに近い髪の色。地下鉄 などで比較的近くに顔を見る事はあったが、ここまで近くに生粋の英国 人(移民や我々同様観光客等の極めて多いロンドンだが、話す英語のイ ントネーションで大抵違いが分かる)の顔をまざまざと見られる機会は 初めてで、そのあまりの美しさに唖然とした。フェイクでもそうはない という程の睫毛の長さと豊かさ、二重と、彫りの深さ、色の白さ、名状 しがたい色に潤む瞳は宝石と見紛うほどに、また髪の絹のごとくのやわ らかな光沢。別段モデルでも何でもない、そこらに普通に居る、学生の 筈である。実際身なりはファッショナブルではあったが質素なもので あった。何やら二人、真剣なおしゃべりに夢中な様子で、こちらには全 く無頓着なのが幸いしたとしか言い様がない、じろじろ見ては失礼だと 思いながらも、目を逸らせられない、それほどに美しい。ロンドンに多 く居住するインド系の女性も、それは美しい。黒人女性の、はち切れる ようなスタイルの良さは、本当にこれが同じ女性、同じ人間かと悲しみ を覚える程だ。しかしどこか、この美しさは質が違う。そう思うのは、 感じるのは、自身が有色人種だからか。人種差別とは、こういう処から 発祥するのだ、と、人の持つ暗黒面の、自分の中にも確固と存在してい る事を、見せつけられた気がした。 先述だが地下鉄は三層程に深さが分かれ、一番浅い処を通るラインに は、駅に天蓋のない部分がある処も多い。元は蒸気機関車を走らせてい たと云うのだから、その濛々たる煙の逃がし処でもあったのだろう。日 本のように、列車到着を告げるアナウンスひとつないし、英国人は大抵 公共の場では寡黙なようで、駅は大抵ひどくひっそりとしている。ある 時、三週間程も過ぎた頃であろうか、フラット最寄りの駅で電車到着を 待っていると、二メートル半程上になるだろうか、道の街路樹がさわさ わと風になびき、鳥の囀りなども聞こえ、様々な生活騒音が遠くにちい さく、まるで誘いをかける魔法のように、囁くように聞こえ来る。そん な中にぽつんと立っていると、急に恐ろしいホームシックに襲われた。 これもまた、全く突然の事で、何の脈絡もない。涙が出て止まらない。 寂しいどころか、毎日を厭という程満喫し、この天蓋のない地下鉄の駅 を、心から気に入っていたというのに。この時の感情の波も、今もって 所以も理由も全く不明である。 イギリスは厳然たる階級社会である。高級紙タイムズと、大衆タブロ イド紙ザ・サンを一緒に買い求めると、普段無表情な店員の顔に、ひょ、 と幽かに、そして一瞬ではあるが、不思議な表情が浮かぶ。ザ・サンや デイリー・ミラーと云った大衆紙はスキャンダル、スポーツ、不動産情 報等の他はいかがわしい情報ばかりで、日本ではスポーツ新聞がそれに 相当するであろうと思われる。大半を占める労働者階級の人達は本当に これらしか読まないのだろうか。実際、日本で云う文庫本に相当する ペーパーバックス等も、付加価値税の故もあるのか、値段が驚く程に高 く、大小様々な書店にも足を運んだが、日本のように文学が一般的に浸 透しているとはとても思えない雰囲気があった。 それでも恐らくは非常にラッキーだったのかも知れない、或いは只鈍 感だっただけなのかも知れない、英語の理解力不足であったかも知れな い、加えて、これもまた厳然と区別されている、危険と云われる地域に は一切出向かなかった故かも知れない、露骨な人種差別的な不愉快な思 いには、只の一度も遭遇しなかった。 予約制、食事付きのジャズクラブから、立ち見しかない小さなライヴ ハウスまで足を運び、果ては当日券を求めて参列さえもしたが、同じ音 楽を愛好するという同好意識も幸いしたのか、白人の英国人とも仲良く 話したし、背の低い私に見やすい場所を譲ってくれる人なども居た。チ ケットに漏れた者同士で慰め合ったりもした。空調の極めて悪いライヴ ハウスの、日本でなら、我々は踏み込めないような、かなりの場末にし か恐らくあり得ないだろう、もの凄い蒸し暑さと不潔さには流石に閉口 したが。 随分とこちらの生活に慣れて来ると、ひとつ非常に快適な事に気がつ いた。日本語を解さない周囲に生きているという、不便のなかの、快適 さ、である。思った事をすぐ口にしたところで、言葉自体が理解出来な いのだから、傷つける心配もない訳だ。「こっちのファストフードのLサ イズの飲み物って、人間の飲める量じゃないよね。」「商品なんだから もっと整理整頓しておけって云うの。」店中で、普通の声音で話しても、 当然の事、誰にも咎められもしなければ、不愉快な顔もされない。スト レス全開解放!……反対に、日常生活に於いて一般人が、どれだけの我 慢を強いられているかという事の、これは証左であろうと思う。 40日間、は、あっという間に過ぎた。間、一番の耽溺バンドメンバー 三名の出身校である、ロンドンより特急電車で南西に約1時間半、サリー 州にある、400年の歴史を誇るチャーターハウス・パブリックスクール、 パブリック・スクールとは英国特有の、その名に反して“私立”教育機 関、13歳から18歳までの上流及び中産階級男子全寮制学校であり、中で も著名なイートン校等と共に、「九大校」と並び称されるチャーターハ ウスを、見学、と云えば聞こえも良いが、夏休みの事、どちらかと云え ばそれは“侵入”に近かったであろう、ともかく、専属教会を含む建物 のあまりの荘厳さと芝の校庭の広さと美しさはもう、感激を通り越して、 開いた口が塞がらない程に、ここにもまた歴然たる階級社会を垣間見、 そうして、今一度は、とりあえずグレート・ブリテン縦断決行と、夜行 列車の終着駅、スコットランドはアバディーンまで、帰路はエディンバ ラに寄っての特急の旅、望む車窓の、青灰色から、暮れなずみゆく、茜 色帯びた空の下、続く緑、緑、そのなかを、這うように走る小径、ぽつ ん、ぽつんと大木、草をはむ羊、馬、牛、そうしてまた緑、その連続が、 いつまで経っても見飽きない、そんなたった二度の小旅行の他は、ただ ただ、ロンドン及びその周辺、近郊を彷徨ついていた、それだけで、本 当にそれだけで過ぎてしまった。 買い求めたレコードや本、お土産はとても持ち帰れる量ではなく、着 る必要のなくなった服等と一緒に四つ程の段ボールに詰めて、シベリア 鉄道便で日本に送る事にした。徒歩十分程の処に郵便局がある。英国の 夏の夜は短く、午後九時半位に暮れ始め、午前三時を過ぎれば白み始め る、とは云え、BBC1と2より他に映らないTVを見るか、本を読むか、日 本への手紙を書くかより、する事のない身、何度ここに切手を求めに来 たか、最早、ちょっとしたお馴染みさんである、そこに汗だくになって 二人で持ち寄れば、重量超過で荷造りし直せとの事。さてこの徒歩十分 がもう、持ち帰れない。断られるのを覚悟の上で、これまた有名なロン ドン・タクシーを停め頼んでみたら、いともあっさりと、「OK。荷物ト ランクに入れなくて、足元でも大丈夫?大変だったね。」フラットの番 地を伝えれば、ぴたりとその玄関の前に停めてくれる。他にもロンド ン・タクシーには数回お世話になり、いつも、極めて愛想の良い、とい う訳にはいかないが、仕事ぶりは完璧にプロのそれで、気配りにも優れ、 ついでに地名発音の間違いまで、こちらも優しく、という訳にはいかな いが、それでも丁寧に正してくれる。土地勘のない不慣れな身には、全 くもって力強い存在であった。 ユーストン、チャリング・クロス、パディントン、キングス・クロス、 そしてヴィクトリア。どのターミナルも、今となればただ、懐かしい。 40日間ヨーロッパ自由コース、帰りの航空便はフランスのド・ゴール空 港より離陸する。ヴィクトリア発の電車に乗り込み、夜行でドーヴァー を渡る。 さようなら、どんなに疲れて戻っても、とんとんと、或いはかつんか つんと、石造りの階段を四階まで上がる、それの一体何がそんなに楽し かったのか、住み心地の良くも悪くもあった、フラット。薄汚れた煉瓦 と、濃い緑にばかり囲まれた、街々。どんな住宅地にも、子供同士の遊 ぶ姿の、全く見うけられないのが不思議で仕方のなかった、ロンドン。 地下鉄にも、店のなかにも、そこにもかしこにも、普通に、犬の居た、 「おいで。」と云えば嬉々と尻尾を、振るというよりぶん回し、膝に大 きな前足を、どんと乗せては顔中を舐め倒された、英国。 Oh, England,my lion-heart. 再度ブロイラーになって、ようやく到着した日本は、恐ろしく蒸し暑 く、まるであらゆる感情を吐き出すように体中から汗が噴き出す。自由 気ままな40日間の後は正に、真似事ではない、生きてゆく為の現実が山 積、厭が応にも重く重く身にのしかかる。それでも、湯の止まる心配の ない湯槽に、ゆったりと身を沈めていると、心底からの安堵が込み上げ、 それらが立ち上る湯気とともに自分を包み込めば、ああ、ここが私の、 ほんとうに、居る、場所だったのだ、そんな簡単極まりない事が、よう やくに、身も、こころにも、沁みゆきて、その心持ちは、悲しみのよう なものを携えて、いつまでも、止むことを知らなかった。 さようなら、何もかもが愛おしかった、現実と、夢の、交差した、私 の、時、代え難い、宝物。 お陰で、こんな私でも、ほんのちょっぴり大人になれた、かも知れな い。 そうして約一ヶ月後、シベリア鉄道便は全て無事到着、そのまた約 一ヶ月の後、予定通りに、私は結婚した。 |
-了-
-back ground music- Kate Bush "Lionheart" Camel "Breathless" |
あとがき--- これは、文芸誌『中央分離帯の上』さま第二号にて、『古径』名義にて 掲載させていただきました文章です。一応、エッセイとして出品させて いただきましたが、自分エッセイが何たるかも知らない有様。なれば、 今時、英国旅行等珍しくも何ともない、いちいち英国がロンドンがどうの、 等のガイドブック的説明は一切省いて、憧れに憧れ続けた地を踏んだ、 その想いの一端でも、伝わってくれれば、と、書いた、ものです。 このような適当な文章を、文句の一つなく掲載して下さいました『中央分離帯の上』 さまの太っ腹ぶりに、改めて感謝の意を表すと共に、その廃刊を惜しみながら、 この文章をこちらに、掲載させていただく決意をした次第です。 最後に、題名は、Kate Bush の曲名から拝借したもので、 日本で有名なあの方達とは一切無関係である事もここに強く 明記させていただきたく思います(笑)。『Oh England My Lionheart』は とても情感に溢れた素敵な曲。You Tube で気軽に聴けますので興味ある方は こちら からどうぞ。 |