秋─菩薩





すうと光の線を延ばし朝日の昇る、
中秋の名月の橙をその頂きの上に乗せる東の山
これを越せば、それらはもうすぐそこに。

行きは舗装もままならぬ細い細い参道の峠越え
国道に出ればふう、と思わず安堵の溜息が出る。

長い、長い松の並木
小学生の頃、遠足で来た時には
きゃあきゃあと松ぼっくりを拾い合った。

クルマを止めるとチン…チンとエンジンの冷える音。

一歩、踏み出すと砂利の感触。
さらと乾いた冷気を含む空気のなかの
樹木の匂い、古き建物の香り。

真中に、柱。
梅原猛をして、その名著「隠された十字架」に
太子の怨念を閉じこめたと称さしめた太い柱。
一呼吸、澄んだ空気を吸い込み足を踏み出す。

もうすぐ夕刻、閉館が間近
その時を狙って来たものだから
人影もそう多くはなく。
ありがたい、ありがたい。
お陰でこころはすぐに、飛鳥の頃に。

あちら、こちらを拝観し
そうしてまずは一つめの。

年に二度より拝むことの許されぬ秘仏
夢殿におわす、救世の観音
暴けば必ず災いのと、その呪詛さえも
フェノロサの興味と関心を押さえ込めはせず
そうして現れたこの像を
梅原は恐ろしいと形容した

暗い、暗い夢殿のなか
黄金の色さえも判然とせぬ夢殿のなか
その像は静かに立っていた。
夢殿のなかに何を想うかいざ知らず
畏怖と悲しみの織り混ざるお顔と
私にはそのように見えた。
美しいというよりも、恐ろしいというよりも
何か悲しい心持ちを夢のように伝え来た。

ようやくに離れゆうるりと歩き出せば
秋の夕方の陽光さえもが目に痛む。

まるで普通の家のお勝手口のような
ちいさな朽ちゆくかの門を抜けると
そこはもう違う名を持つひとつの場所。
ただその像だけのおわす場所。

朽ち果て落ちた建物の代わりと建つその
建物の、コンクリート仕立ての何と味気のなく
興の殺がれることだろう。

その建物の横側をずうと歩くとそこに
現れたのがふたつめの。

目にした途端に全てが止まる。
足も、目線も、こころも、何も。
ただ私の心臓と、
傍に座り込む老婆のひたすら唱えるお経の声
動いているのはだたそれだけ。

漆黒の半伽思惟像。
通称弥勒菩薩。

これほどのものを、私は
今までに見た事があっただろうか。

涙の自然、目玉を揺らし
良く見えなくなるのさえがもどかしい。

美しい、ただ、うつくしい。
なにもかもを超越して、
うつくしく、そこにおわす。


時刻ですよ、と告げられ我に返る。
ふらりふらりとクルマの元に
そうしてふうと一息ついて、現へと。


帰り道は大きな国道を選った。
大和の川るいるいと流れる横を通る、道。
この川を幾度、彼等は下り、上ったのだろう。


「今日な、法隆寺と中宮寺に行って来た。」
「へえ。ひとりでクルマで行ったん?」
「うん、そう。近いね、ここから。ほんまに。」

いにしえを想い
いにしえを感じた

秋の、夕刻、その、ひととき。


-end-




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