「わぁ修羅にいさまって狗(くう)のよう!」
開口一番あっけに取られた
「狼の血を濃くひく狗は 銀の瞳に黒い鬣
大きく強く気高くて そしてとっても優しいんだよ」
そう言ってこぼれるように微笑んだ──それこそ無垢の仔犬のように
全くあれが男だったら 間違いなく斬りつけていたぜ……
銀瞳の忌み子 修羅と名付けられ
この名門の血に何故と 親さえ見放したこの呪われの身に
ただひとり手を さしのべてくれたのは
年の離れた兄だった
「強くなれ修羅 私の弟
その美しい瞳が仇となるこの地でも 一人で生きていけるほどに
そのために できることであるなら
私は何でもするだろう」──これが口癖
そして本当にそうだった
異の国と称されるかの地は
国交を一切持たぬ 独立国
その政を司る 立場を若くして得た兄は
隣国より美しい妻を迎え入れた
人々は騒然 だが兄は気にしない
義姉のたおやかな笑顔に 人々も心を開きはじめる
兄と義姉は慈しみ合い 幸せに暮らしていた
少なくともあの時までは そう思っていた──
剣技には興味があった
これも幼い頃基礎を仕込んでくれた 兄のお陰
俺を蔑んだ奴を皆殺しにしてやる
だが不思議な事に
剣を持てば そういう疎ましい事全てを忘れる事ができた
強い相手を求め他国に出た──そこで兄を見た
探ってはみたが 証拠を手にした訳ではない
だが確信があった──兄は機密を売っているのだ
隣国の妻を娶ったのもそのためか
──だが 何故だ?
生まれながらにして兄は 銀の匙をくわえていたようなもの
その王道の人生を狂わせたのは──銀の瞳の忌むべき弟か──
それから数年 勢力を急速に強めた亜魏(あぎ)国の
手先に兄が殺られたのは おそらくは口封じのため
だが何より驚いたのは
狂うがごとくの悲しみの中で 絶え絶えに呟いた義姉の一言
「来て欲しくなかった──この日だけは」
義姉は全てを知っていたのだ
その上で すべてを受け入れ 兄を愛していたというのか──
八雲を訪ね行くのは 一人亜魏に侵入するより勇気が要った
だがたどり着いた久遠の地は 無惨な有り様
見付け出した八雲は手負い その隣りには女
その瞳の 深い悲しみの中に光る刹那のいろ
一瞬気おされして口ごもる
八雲は俺の姿を見ても 驚いた様子ひとつ見せず
ただ一言こう言った
「修羅……待っていた」
この男には時々本当にぞっとする──
亜魏の国は遙かに遠く 攻め入るには情報収集が必須
いつ終わるとも知れぬ戦の旅
たどり着いた小さな村に どういう訳か木晩が居た
義姉の為の丸薬を求めて ここまで来たというのだが
とりわけ物騒なこの地方 小娘ひとり帰せる訳もなく
送りとどけたのが運のつき
そのままくっついて来てしまいやがった
「薬のことなら 少しは分かるんだよ」
そう言って微笑んだあの顔は 幾つになってもあの時のままだ
それから一体いくつの夜を こうして過ごしてきただろう
冴え冴えとして眠れない
何故こんなにも 昔の事ばかりが思い出される──
「でも私には にいさまがいる」
そう言って微笑んだ彌勒の顔を
こんな夜には 思い出す──
彌勒のいうその“にいさま”が
闘神の化身と人に言う 金の髪の八雲と知ったのは
それからずっと後の事──彌勒の弔いの夕の事
だがはじめて瞳にした 八雲の姿は
その碧の瞳が そらを 彷徨い
深すぎる悲しみに ただその場に立ちすくむ
触れれば即座に崩れ落ちる ぎやまん細工のようだった
久遠の宝剣 朱壬と共に 八雲が姿を消したのは
それからしばらく後の事
人々は騒然としたけれど 長はただ静観した
季節がひとつ変わる頃 長の言葉のそのとおり
八雲は村に戻り来て 自ら朱壬を長に返した
その時の八雲の瞳のいろは 穏やかに静かに澄んではいたが
どうにもそうせざるを得なくて
思わず人だかりを分け入って
「お帰りなさい」と声をかけた
綺羅の髪をさらりと傾け こちらを向いたその碧の瞳に
大きなきらめきが走り 八雲は一瞬歩さえ止めたが
それからほんの少し微笑んで そのままゆっくり歩み行った
その後 大国亜魏の暗躍著しく
ついに中立久遠の地にも その牙が向けられる時が来る
八雲は筆頭剣士として 正に鬼神のごとくの戦いの後
亜魏永劫撤退へと導いた
だが村の犠牲は少なからず──もう愛する者はひとりもいない
並ぶ亡骸を前に 泣くことさえもできずにいると
手負いの傷も痛々しい 八雲が瞳前に現れた
碧の瞳を沈ませ 静かな声で話し出す
「力及ばず 詫びる言葉も失うけれど
もし──私にでも 出来る事があるのなら
どうか何でも話して欲しい」
これは──何という ひとなのだろう
破壊の……神? 慈愛の……天使?
そのどちらもが このひとのなかでせめぎあっているかのような
だからこんなに美しいのだろう
この希なる美しさは その故だろう──
旅の支度に余念のない頃 ひとりの男が現れた
漆黒の髪と──なんという銀の瞳
後に八雲はこう言った
「修羅は 不思議な男だな
まるでその時を得たように ふらりと瞳前に現れる」
本当に修羅は 不思議な男だ
その銀の瞳ですべてを魅入る──
「でも私には にいさまがいる
つらい修行をなさっているけど
年に二度の 陽と月の長さが同じになる日には
必ず会いに来てくださる
私には歩める足さえないけれど
その日を待って こうしているよ」
八雲は今も知らないだろう
秋が終わりを告げる頃 彌勒の話すその姿を
村の鎮守の森の中 戯れの間にふと瞳にした事
あの日の彌勒の微笑みは 今も心の奥底に
陽だまりのように 染みついて
こんな夜には 思い出さずにいられない──
待ちわびた時こそは明日
闇が明ければ すべては始まり
そうして全てが終わるだろう
永い──ながいこの一夜
ただ刻々と 時を紡ぐ──