閑話休題

 あの篠突く雨の日から一月あまりが経とうとする
ある穏やかな陽差しの日の事です。


「では私に今一度朱壬を、と。」
八雲の碧の瞳にきらりと煌めきが走ります。
「三月余り前に崩御された長の、それが最後の詔でございます。
貴方が前例のなき若さで朱壬を継ぐ身となられた事、
その身で断りなく村を去られた事、
その後自ら久遠に舞い戻り、それを長に預け返された事、
亜魏急襲の際には長の命令を受け、再び朱壬を手に闘い抜かれ
その見事な働きに感銘された長は貴方のたっての願いを聞き入れられる。
そうして朱壬は再び長の元に、貴方は久遠をあとに
果てしのない旅に出るを特別に許された事、
その経緯全て承知の上での事でございます。
御病床の元に長は語られました。
“この今こそ八雲が朱壬の輝きを、
また朱壬がその身をゆだねる者を真に知る時。
永い月日の後、八雲は久遠に再び朱壬を持ち帰るであろう。
その時まで久遠はそれを有するに足る
人物も、また理も、共に持つ事はないであろう。”
……貴方がたがこの地に長く滞在された事が幸いでした。
そのお陰でようやく所在を捜し当て
こうしてお伝えする事ができるのです。」


使いの者との会見を終え、部屋を出た八雲に修羅が歩み寄ります。
「……どうやらお前を久遠に連れ戻そうというのではないらしいな。」
「いや……そのとおりだ。」
八雲は遠くを見るような瞳で呟きます。

「朱壬……あの剣をか。」
修羅の銀の瞳の奥に、幾年か前の、あの出来事が鮮やかに浮かびます。
「……ここから久遠に舞い戻るとなると、最短でも一月以上か……。
だが如月の回復を考えればそれも悪くはない時間だ。
その間……ここよりほど近いかの国に今一度戻るも良い──
実戦不足の鈍った腕にはあの道程ならもってこいだ。
何なら木晩にもう一度、義姉に会わせてやっても良いし
……その話、全てに好都合かも知れねぇぜ。」
修羅はいつものように、口元に笑みを浮かべて言います。


「ここに木晩と留まるも、共に久遠に戻るもあなたの自由。
木晩はどちらでも喜んでと言ってくれている。」
如月はその言葉を受け、少し間をおいて静かな声で話し出します。
「八雲、私は床の中でひとりずっと考えていた。
この果てしない闘いの旅が終わりを告げた時
もし二人共にまだ命が残されていたなら
そして共に久遠に戻るのならば
そののち──ずっと共に居られれば良い、と……。」
八雲はその碧の瞳にまるでせつないような
えもいわれぬいろを湛えて如月をみつめ、静かな声で話し出します。
「朱壬を置く次こそは全ての掟より自由になれる。
その時──あなたが共に居てくれるというのなら
他に望むものは何もない。」
如月は柔らかく微笑み、そして言います。
「では今、共に久遠に戻り、両親の墓に未来の夫を紹介しよう。」
八雲はその白い手を、如月の頬と髪のあいだにすうと滑らせ
そうしてふたりはあたたかい陽差しのなかで
はじめてのくちづけをかわすのです──。


「如月は久遠に戻ると言った。
……私達はこの闘いのあと夫婦となる約束をした。」
修羅はほんの一瞬その銀の瞳を地に落としますが
すぐに全くいつものように、くっと笑って言うのです。
「それはいい。案外お前は如月の尻に敷かれるぜ。」


こうして彼らは久遠での再会を誓い
──木晩が一度久遠を見たいと言うので──
一旦別の旅を歩む事となるのです。


修羅が異の国に帰りつき、する事はただひとつでした。
昔、兄の持物の中に偶然みつけた、八雲の瞳のような美しい翠玉
それを兄の墓の元に埋める事、ただそれだけだったのです。


そうして約二月ぶりに彼らが再び出会う場面が
“修羅”のお話し、という訳です。


そういう訳で修羅は(木晩もですが)知らないのです。
“口火を切った”のが如月の方だったという事を。

尤も、“見初めた”のが八雲の方だったのには
何ら、違いはないのですけれど。