さん、さん、櫻、さん、櫻、
やれとも美事よ、
此(こ)ぞこそ、さても
現世(うつしよ)が麻呆良(まほら)
ささ、呑めや唄え、詠えや舞え、
爛漫の今宵、宴に終焉など無粋、
年に一度の、今、此の刻ばかりは。
「一条の。」
「おぉ、此は、化野(あだしの)の、
随分見限りであったじゃないか。」
「否(いや)、何、其方(そち)、相変わらずの盛況なる様、
どうにも、ちと、田舎者には当たりの強く。」
「はは、此は何をか云わん。
まぁしかし、実の処は、其れ、其れよ、
近頃の、輩(やつばら)と来た日には。
咲こう散ろうは只たる口実、
幽玄、風雅や、何処吹く風、
只、呑めば好いのよ、舞えれば好い、
聞くにも耐えぬ、歌、詠わば恍惚、
狂うが如く、憑かれた如くよ。
……まぁ、己(おの)自体、然(さ)に非ずとも言い切れぬがな。」
く、と真白(ましろ)の容(かんばせ)、
笑み浮かぶれば、此れ、いと麗しき。
「さて、花の都の一条となれば
此の秋津島、何処(いずこ)にも並ぶ処無し、
故方も無いとは思いもするが。」
「あぁ、全くに、因果よの。
……ところで化野、其の一本櫻、
其方も、如何よ、変わりは無きかの。」
「さぁ其処だ、暫し其の耳、拝借されたく。」
「おう、此れはなかなか面白そうだ、
ささ、此方(こち)へ、まぁ一献。」
「おう、此は嬉しや、一条の酒(ささ)、極上の、其のまた極み。」
「何、遠慮は無用、さぁ、さぁ。」
くいと、盃傾ければ、
身に沁み亘る旨み、えもいわれぬ。
「さぁてな、如何に切り出すか。
化野は、此れ釈迦に説法、骸の山、死者のみの棲まう、
骨皮と成り果てた、姥捨ての、尉(じょう)捨ての、
呻きの声さえ時として、何処よりかも漏れ聞こえ、
浮かばぬ、往き場無き魂の彷徨い場よ。
我とて、髑髏(されこうべ)の眼窩より、
芽を吹き出したる、妖しの一本、化け櫻と、
噂の立つのも無理からぬ、
何、其の実、そうも違いの、有りもせぬが。」
「はは、化け櫻とはまた。」
「まぁ、其故に、咲かずば無視も当然に、
咲けば咲いたで、やれ祟りだの呪だのと。」
「実(げ)に、人の心は揺らり揺らりと、薄(すす)の如くに。」
盃、注がれれば又、くいと、芳醇なる。
「時に酔狂なる者、現れぬでも無い、
あれ、琵琶法師の、此の上無き鍛錬場と、
昼日中より、びんびんと、撥(ばち)不細工に、雷鳴の如く
鵺(ぬえ)も尾を巻き遁走するかの声に謡わば、
ええい邪魔よと、骸担ぐ人夫に足蹴にされた、其、
最早幾歳(いくとせ)前の事、四十年(よとせ)五十年(いつとせ)。」
「おう、其の一件、確かに聞いた。
真(まこと)、笑うた笑うた、
御陰に、交わす酒も又絶品、甘露、甘露と、あな嬉しやに。」
又一献、次第、仄かに此れ、櫻色。
「すれば、又、現れたのかの、酔狂の輩(やから)。」
「おう、流石一条の、勘の好き事、天仰ぎ、雨露落つるを
即座感応せる、其処いらの獣等、顔無し。」
「又、其の様に煽らずとも、ほれ、手元、ぐいと。」
どうやら一条の精(しょう)、勧め上手の様子。
「さて、五分も開いた頃にあったか、
天(あま)には朧に上弦の月、
煮染めの襤褸(ぼろ)を纏うた、ややとも見れば
腰には帯刀、伸び放題のざんばら髪、
徳利と盃、持参して、我と我が身の真ん前の
そうさな、三間三尺ばかり、
要には伸びたる我が枝葉、月見の邪魔せぬ其の場所に
骸、骨(こつ)、髑髏(こうべ)分け隔て無く
転がるものを、土塊同様、
足にて器用に、さささと退け
でんと胡座をこさえては、
ほう、さても極楽至極、と、響き渡る大声に
一人手酌を始むれば、
次には何やらぶつぶつ呟くに、
耳、欹(そば)立てみれば、
此れ、如何にも面妖な、
『是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減』
と。」
「其、玄奘三蔵の。」
「真(まこと)よ。」
「しかして、其の輩、帯刀の主に在ろう?」
「其処よ。我の、糸を引いたのも。」
徳利、奪うかに、次には一条の精に、
やや、此れは、と、くいと呑み。
「尚、面食ろうたのには
輩、其の後(のち)一日(ひとひ)とて欠かさず、
風情の月の、無しは疎(おろ)か、
吹き付ける雨の凄まじく、我が身を迸らせ、散り散りに
白や紅やにきりきり舞う、春嵐の夕にさえ
全き同じ様子にて、徳利と杯持て、一句の読経。」
「ほうほう。」
最早、一条の精、話の面白さに、
酒、注ぐ手も忘れ。
「我、とうとうに、我慢も限度、
姿、現し、尋ねたのよ。」
「ほう、すれば。」
化野の精、徳利手に取り、
まずは一条の精に、そうして我が盃に。
くい、と。
「予想が通り、さしたる驚きの様子も見せず、
『ほぉ、長生きはするもの』と。」
「其の者、年齢にては、如何程の。」
「さぁてな、襤褸にざんばら、垢塗(まみ)れだが、
彼(か)の眸光、腕脚の肉付き、
推すに、三十路に手の届くや否かと。」
「ほう、其にて長生きとは、又。」
「我が姿、眸に映し、尚、一人手酌の手も止めぬ、
『此(こ)は麗し、櫻の精の御登場とは。』
と、嘯(うそぶ)いた。」
おや、酌の手の、何やら止まった様子に。
「ほう。して。」
「問うたさ。
『其方、気にはならぬか、此の凄まじき、漂う、屍臭の。』
すれば其の、薄汚れた貌(かお)に、無闇と光り滲む、
白い歯を、とく、見せながらの返答にて、
『何、生く者此、より酷し悪臭放つが常。』
と。」
「ほう。これは一本。」
「続けて問うた、
『見れば帯刀、武士風情。其が何故(なにゆえ)、読経等。』
すれば又、滲みの歯を、大きく広げて、あはははと、
『おぉ此れは、流石少々汚れも過ぎたか、傷みも過ぎたか、
何、櫻の精たる御方にも見破られぬとは。』
何の事やら腑も落ちずば続けては
『確かに帯刀はして居るが。ほれ此の通り、法衣纏う身。』
と。」
「何と。人斬り刃持つ僧と。此は酔狂通り越し、
最早、狂い人なるか。」
一間、とく、と、盃に、
あぁ、と、受け入る、一条の精。
どうやら、何時の間にやら立場、さかしまに。
「更に問うた、
『詰りは、其方、殺生は成らぬと読経、
一方にて、己が刃に血肉命脈、断つを厭わぬと。』
『真、其の通り。流石に齢重ぬる精、物分かりに長ける。』
無礼にも未だ、手酌のし放題。」
「ほう。此は矢張り、狂い人か。」
興味の糸、ややに緩んだか、
化野の精に、とく、と酌。
「其処でな、不図、腑に落つ心持ちのした、
で、続け、問うたのよ。
『成る程に。主、此の全て、己を恥じての所業か、
此処にての、読経、己が所業に詫び、
奪いたる命脈への鎮魂故か。』」
「あぁ、成る程に。其れなら話も随分易し。」
「さぁ、其れならば、話も詰まらぬ、であろうよ?
話は此処よりよ、一条の。
まあ、呑もうぞ。」
互いに酌み交わせば、互いの容、最早、其れこそ、
染まり染まって、櫻色。
「其の漢(おのこ)、我が声の仕舞うや否や、
あぁ、あの双眸の呆れ様、思い起こすに腹立たしい、
瞬時、きょとんと、まるで童子のような面構え、
成したかと思わば、ぼやり笠懸の朧月にまで
轟き亘るかの大笑いよ。」
「何と。」
「ひぃひぃと、如何に此の笑い収みょうかと、
そうよ、眸に綺羅と、涙さえ滲ませても居たであろう、
馬鹿笑いの収まった、かと思えば未だくっくっと肩揺らせ、
そうして、漸うに、我が方を、見た、
其の、双眸、襤褸に似ず、綺羅と、朧の月浴び、澄み光り、
低き声音に、こう、言うた。
『あぁ、櫻の精様よ、申し訳も無い、無礼は此の通り。
だがな、其れは違う、勘違いに過ぎる。
俺はな、只、どれも此もが同じに面白うて
同じに味わい深うて、こうして居る、只、其れだけの事。』」
「……何と。」
一条の精、運ぶ盃も止めたまま。
「此は異な。我も、只、其に思うた、思うて問うた。
では主には、人、阿鼻叫喚に殺めるも、神妙に読経するも、
化野の、骸の山に月の花見をするも、何(いず)れも同じ、と。」
「『仰るが通り。』
我には合点のゆかぬ、如何に同じと主は言うか、
問わば、其の、垢に塗れる貌、緩ませ、
鳴響(とよ)む声音に、此う、言うた。
『玄奘に謂う、世は一切が空、己が心も空。
其を踏まえ、尚、我が心、
朧月、背に、浮かぶ、櫻を美しいと思う、
化野の、骸、髑髏、山と成す
中に一本、只咲く櫻を
一際(ひときわ)美しいと思う、
其に武道の、其に仏法の、
其に生の、其に死の、
全ての、在ると、俺は思う、
故、こうして、居る、其れだけよ。』」
「……ほう。」
やれ、如何なる事や、二人共、
暫しの、沈黙。
沈黙。
「否、化野の。実に面白き話。」
漸くに、其う、言うたと思わば、
今や櫻色満面の、花たる容、然も優雅に綻ばせ。
「実(げ)に、人とは面白き。のう、化野の。」
「真、真。」
「さ、さ、一献。」
「や、其方も。」
「真、甘露、甘露。」
舞えや詠え、唄えや呑め、
一度(ひとたび)の、狂うが如くの宴も
今や遠きの夢の址(あと)
後(のち)は暫しの一休み
あれ、一条の精、化野の精、
揃うて、心地も好さげに、寝息のなか
見る夢、如何なる、さて、如何なる。
夢は現、現は夢、
全てが空なら夢も空、
成らばせめて、
好き夢を──。