「さぁて。そうよなあ……。」
いつだってこんな風に、何だか気怠そうに、けれどもどこかもの思う
ようにトパじいは話し出す。そんな話っぷりも、僕達はお気に入りだっ
た。
僕達の住む村は全く、目も当てられない程に辺鄙だ。真夏でもどんより
と鈍い太陽の下、あちらを向けばなだらかな丘と湖、こちらを向けば年中
霧をかぶっている海岸。身を寄せるように建物が集まっている “街” は、
僕達の足でさえ二時間もあれば縦横無尽に歩き尽くせた。
そんなだから、野っ原なんて腐るほどある。そのひとつにトパじいは
キャンピング・カーを根城に住み着いていた。いや、これは正しくは “元
キャンピング・カー” だ。元々は真っ白だったんだろう車体表面はすっか
り薄汚れ、あちこち塗装が剥げて赤銅色の錆を噴いている。その様はまる
で僕達がもっとガキだった頃よくやった “もぐら火薬飛ばし” の残骸みた
いだった。でも何よりそれが最早 “キャンピング・カー” でない証は、そ
れにタイヤが一本もついていない、って事だろう。
トパじいはいわゆる自由人だ。川や湖で釣った鱒や何やを、村に一件し
かないパブレストラン “大鹿角亭” や、これまた一件しかない “何でも屋”
の “マクリーンの店” に持って行っては換金だの物々交換だの、していた
ようだ。
噂ではトパじいはスィンティ・ロマ*って事だ。でもじゃあ何で今独りで
こんな辺鄙な場所に住み着いているのか、それは全く謎だった。
謎と云えば “元” キャンピング・カーの中がまさしくそれだ。生活に必
要なものはあれもこれも中古も中古だけれど、ちゃんとあらかた揃ってい
る。テレビだってある。電気は、まぁ、公共の電線からちょっと拝借して
いたみたいだ。
でもそれよりも。それが文字なのかもちんぷんかんぷんな文字もどきに
埋め尽くされている本や、使用目的のさっぱり分からない小物の並ぶ棚、
下には埃を被り、本当に音の鳴るのか怪しい手風琴。吊り下げられた、ど
う着るのか想像もつかない民族衣装、様々な模様が描かれた古びた家具。
“ギャラガーのアンティーク・ショップ” 顔負けのそれらが醸し出す雰囲
気は、僕達の求める “秘密基地” そのものではなかったにしろ、ついつい
足はそこに向かってしまう。尚有り難いのはトパじいが、そんな僕達の訪
問を特に歓待もせず、さりとて嫌がりもせず、まるで僕達を居ないものの
ように扱ってくれた事だ。トパじいの狭苦しい簡易ベッドに僕達四人が、
その、まぁ、親には決して見られたくない雑誌を持ち込んで、ページをめ
くる度に感嘆の呻き声をあげていても、全く素知らぬ風に手作りソーセー
ジに勤しんだりしていたものだ。
そんな僕達が時として、そこらにある訳の分からない物に興味を示し訊
ねると、トパじいはゆっくりとこちらに近づいて、それを手に取りじっと
見つめたかと思うと、ハンノキで出来た小さな椅子に腰掛けて話を始める。
それがいつものパターンだった。
「これはな。“さいわいの塔”って中で見付けたもんだ。」
トパじいはそれを、硬くてごつごつした手の平で転がしながら話し出す。
「わしがまだ若造の頃、ぶらり立ち寄った村の居酒屋で耳にしたのよ。
目の前に広がる広大な森、その背後にうっすらと霞のなかに尖塔の先を見
せる背の高い塔。そこには “さいわい” があると。今まで村の、旅人の、
何人もが挑戦したが、惑いの森に囚われて塔の元へさえ辿り着けぬと。」
なんだかロール・プレイング・ゲームみたいだな。そう思いながらも僕
達は結構素直に話に耳を傾ける。
「実際森に入ると成程、磁場が近くにあるらしくまず磁石が馬鹿にな
る。外からなら見える尖塔の先が、森の中に入ると鬱蒼たる樹木に邪魔さ
れて全く見えぬ。おまけにこの辺りはいつも分厚い雲が覆っていて、太陽
の位置も良くつかめない。こいつはなかなかの難物だ。だが面白い、興味
惹かれる。そこでわしはしばらく村の宿屋に陣を取り、時間をかけ攻め落
とす決意をしたのよ。」
「宿代はどうしたの?」
僕達の素朴な疑問はいつものように無視される。
「数週間にわたる綿密な実地調査の甲斐あり、とうとうわしは森を抜け
塔の入り口に辿り着いた。」
「え……? どうやって!?」
思わず口をついて出る言葉も勿論無視だ。
「目前に聳え立つ塔はバベルの塔もかくありきと思わせる程の高さに、
見上げれば眩暈を呼び起こす程だった。塔のちいさな隠し扉は錆び付いて
開けるだけがまた一苦労。そうしてようやく足踏み入れたなかにはただた
だ螺旋を描く階段ばかりが先の見えない高みにまで続いていた。」
ますますRPGだ……。でももう口は挟まない。
「森を歩き通し疲労しきった足にその階段は正に拷問だったが、ここ
で止める訳にはいかぬ。そうだろう?」
僕達は少々大袈裟に首を縦に振る。まさかその一等高みにあったのがこ
れ、とか言うんじゃないだろうなぁ。
流石にそれが的中するとは思わなかった。世界最悪だ。史上最低だ。
“さいわい” どころか不幸のどん底だ。
僕達はせめてもの慰めに、その“物” をトパじいの手から取り上げじっ
くりと見定める事にした。
くすんで、しかも擦傷だらけのガラスは分厚く、しかもこの形が丸でも
なければ四角でも台形でも、円柱でも三角錐でもない、いびつとしか言い
様がない。大きさはちょうど僕達の手の平位。どの面もただガラスで蓋な
んかない。それなのに中には何かが入っているんだ。
それが何だか、薄汚れ不透明でしかも分厚いガラスに邪魔をされ良く見
えない。くすんだ桜色をした、トパじいの爪位の大きさのそれは、振れば
ころころと中で柔らかい音を立てるので、どうやら鉱物ではなさそうだっ
た。
「なぁこれ、何だと思う?」
「さぁなぁ……こんなガラスに密閉する位だから、よっぽど大事な物だっ
たんだろうな。」
「指先だよ。」
「……何だって?」
……そうだった、こいつは無類のホラー好きなんだ。
「だからさ。恋人の指先だよ。死なれたのさ。で、その婚約指輪をはめた
薬指の指先を切り取って、こうして後生大事にガラスの容れ物に閉じ込め
て、永遠の愛を誓う……。な? これって “さいわい” だろ?」
……こいつが妙なロマンチストでもあった、ってのは新発見だ。でも確
かに、そう言われてみれば指先のミイラに見えて来るから不思議だ。
「ねぇトパじい。これが “さいわい” なの?」
「そうさな。」
トパじいの返事はいつもそっけない。
「これ、割って中身を出そうとは思わなかったの?」
トパじいは僕達が良いだけ弄んだそれをひょいと取り上げ、元にあった場
所に戻す。
「そうさな。」
キャンピング・カーはそのままにトパじいが姿を消したのは、それから
間もなくの事だった。
急な出来事に僕達は、両親だけでなくありとあらゆる大人達に聞き回っ
たけれども、皆が複雑な表情に口をつぐむばかりだ。
でも、死んじゃったのではない事にだけは確信が持てた。何しろこの村
の連中と来たら、どこの馬の骨とも知れない行き倒れにだって、お金を出
し合って葬式を出すんだ。公共料金は平気で延滞するくせに、だ。
しばらくすれば興味の目も他に向き、トパじいの事は自然と忘れて行っ
た。僕達は皆この退屈極まる田舎を脱出、都会に出る事だけを夢見出し、
そうして皆が次々に実行した。
いつだって一緒に連(つる)んでいた僕達の人生は、それぞれに違う道
筋を立て始めていた。あいつは事故で死んで、あいつは行方知れず。そし
てあいつは今も都会で頑張っている。
僕はまたこの辺鄙な村に戻って来た。手前味噌だがまぁ、そこそこに可
愛い妻と、こちらはお世辞にも可愛いとは云えない、どうしようもない悪
ガキをひとり連れて。
全くここときたら、呆れるばかりにどこもかしこも昔のままだ。久しぶ
りにあの野っ原に来てみたが、当然のように景色は何も変わらない。ただ、
キャンピング・カーがなくなっているだけだ。
今なら難なく分かる、トパじいは政府によって施設に隔離された、って事。
そうして思う。あれは全く出来の悪い作り話だったけれど、そんな即興
話を、“さいわい” なんて言葉を埋め込んで作り上げた理由(わけ)。あ
の中身が何であれ、ガラスを割りたくなかった、いやきっと、幾度割ろう
としても割れなかったトパじいの気持ち。
目前に広がる、ごつごつした岩肌ばかりの、そこからほんの少し遠慮深
気に、けれども力強く顔を出す緑の点在するなだらかな丘陵。ウルトラマ
リンに深い色を湛える湖。それらをぼんやりと眺めていると、
「パパ!」
と、我が悪ガキの、甲高い声と走り近づく足音がした。