まんまるのかざぐるま

高い空に、ぽこぽこと浮かぶうろこ雲が
傾き始めたお陽様に照らされて、影を東に拾う頃
小高い山丘に二つの影が、ちいさく並んでありました。

「ねぇにいちゃん、何だか今日は南のふもとがにぎやかだね。」
小次郎が言います。
「あぁ、本当だ、今日は秋祭りの立つ日だったね。」
小太郎が答えます。
「そうなの!?」
小次郎の、黒くてまん丸い瞳がきらきら光ります。

「にいちゃん、秋祭りって、何をお祭りするの?」
「稲穂の豊穣と収穫を感謝するんだよ。」
「イナホ? ホウジョウ?」
「お陰さまでたくさんお米がとれました、ありがとうございます、って
みんなで神様にお礼をいうんだ。」
今年生まれたばかりの小次郎と違って
一年お兄さんの小太郎は、体躯が大きいばかりでなく、
いろんな事を学んで、だからいろんな事を知っています。

「そうなんだ。南の神社は、誰をお祀りしているの?」
「宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)様だよ。」
「えっ……? それって、あの、ウカのおばちゃん?」
「そうだよ。」
小次郎にはそれは心底意外でした。
何故ならウカのおばちゃんこと 宇迦之御魂命は、ぽってり肥って、
いつもとてもほがらかで、
そんなに大層偉いお方だとは、ちっとも思っていなかったからです。

「ねぇにいちゃん、ぼく、秋祭り、行ってみたいなぁ。」

小太郎は少しばかり驚いて、小次郎の顔に目を遣りました。
その小次郎の瞳は、じっと、南のふもとを見つめています。
「だって、ウカのおばちゃんちなら、ぼく、怖くないもの。」

「……でもな、小次郎。
あそこのウカのおばちゃんちは、とんがりの領地でもあるんだよ。」
そうなのです。
宇迦之御魂神社は、稲荷社でもあるのです。

けれども実は、ずっと前からこれが小次郎の、
不思議でならない事でした。
どうしてとんがりばかりが、神様と崇め奉られるのだろう?
「それはきっと、やつらの毛色が稲穂と同じ、黄金に似ているからだ。」
小太郎は聡明そうな瞳をほんのすこし沈ませて、そう言います。

「でもさ、とんがりとぼくたちだって、
いつもいつも、いがみあったり、争ったり、
している訳じゃあないもの。
だからきっと、ぼくたちが、秋祭りに顔を出したって、
ぼくたちさえ悪さをしなきゃあ、
とんがりは……そりゃあ、少しは毛をさかだてるかも知れないけれど、
なにもしないでいてくれるんじゃないかな。
それになんたって、ウカのおばちゃんのお家なんだもの。
ウカのおばちゃんの前じゃあ、どんなとんがりだって、
きっと、大きな顔は出来ないよ。」
小太郎は、思わずふっと、噴き出します。
そうして仕方がないな、という風に、腰を上げます。
”全く、何と言っても小次郎ときたら、言い出したら聞かないんだ。”


「うわぁ……。」
どん、どん、つくつん、どん、つくつん。
ぴぃぴぃひゃらら、ぴぃひゃらら。
お社へと導く、長い石畳の参道の両端に
ぶらさがってぼんやり淡いひかりを落とすぼんぼり、
そのひかりのもとに、一列に並ぶたくさんの出店、
五平餅屋、お面屋、飴細工屋、団子屋、果物屋、竹細工屋……。
人、人、人、人の波。
から、から、ころん、と下駄の音。
小次郎は、こんなに大勢の人を見たのも
こんなに様々のお店を見たのも初めてです。
胸がどきどきするのをどうする事も出来ません。

「ねぇにいちゃん、すごいね、すごいね、すごい人だね。」
「あぁ、はぐれないように、気をつけなよ。」
小太郎は十八歳位の若者、小次郎は八歳位の少年、
つまり人間の姿にと、それぞれ変化(へんげ)をしているのです。

「あっ……!」
思わずちいさな叫び声をあげて、
小次郎が駆け寄ったのは、風車屋の前でした。
からから、からから。
かざぐるまは、秋の夕刻の、冷えた空気を受けて
ひとつひとつが、元気に綺麗に回っています。
あちらも、こちらも、からから、からから。

その姿を目に追う小太郎は知っていました。
山辺の端(はた)に、ぽつんとひとつ、与一どんのところに
時折立てかけられるかざぐるまを、それは珍しそうに、それは面白そうに
小次郎がいつも、いつも、眺めていたのを。
けれども、買ってやる訳にはいきません。
そうです、悪さは出来ないのです。

ふと鋭い視線を感じて、そちらにそっと意識を注げば、
あれは間違いなく、人間に変化したとんがり。
こちらは偉丈夫な、三十歳前と云った風情でしょうか。
あぁ、どうしても、今ここで
悪さをする訳にはいきません。

「よう、坊主。ひとつどうだい、どれでも五文だ。」
風車屋の旦那がにこやかに、小次郎に話しかけます。
その時ふと、小太郎の頭に妙案が浮かびました。


「いいな。約束出来るな?」
「うん、うん、約束するよ、にいちゃん。」
小次郎の瞳は、喜びのあまり、とうとう潤んでくる始末です。
「絶対だよ?」
「ぜったい。ぜったい約束するよ、約束する。」
人のきれた仄暗い、石灯籠の裏手に小次郎の手を取り連れ来て
こうして話をつけた小太郎は、
同時に先程の、偉丈夫な青年に変化したとんがりに
二人の会話を聞かせる事にも、どうやら成功したのでした。
案の定、ふんと、安堵の鼻をならしてとんがりは
どこかにさっと、姿を消してしまいます。
「さぁ、これを持って買っておいで。」


「おじさん、はい、五文。」
小太郎から受け取り握りしめた一文銭五枚を、
小次郎は、ぱっと開いて風車屋の旦那の大きな掌に落とします。
「おう、間違いなく五文だ、毎度あり。
どれでも好きな色を選んでひとつ持って行きな。」
小次郎は少し、困ってしまいました。
けれども、どれでも、小次郎にとっては同じ事です。

「じゃあ、これ。」
風車の旦那の顔に、ほぉ、と意表を突かれた微笑みが浮かびます。
「おう、一本こっきりしかねぇ、紅藤色たぁ、色っぽい。
何だ、坊主のいい娘(こ)への贈り物かい?」
風車屋の旦那のいなせな、ちょっとしたからかい言葉に
すっかり驚いてしまった小次郎は
ぽおと、耳の先まで赤く染めたかと思うと
「あ、ありがと、おじさん。」
という言葉を置くのが精一杯、
ぱあ、と、その場を走り去ってしまいました。

“お……?”
風車屋の旦那の顔に浮かぶ微笑みが一瞬、妙な形に歪みました。
そうです、風車屋の旦那は見逃さなかったのです。
あたふたと、急ぎ走る小次郎の、後ろ姿の帯の下から
ほんの一瞬、ふんわりと、うっかり覗いてしまったものを。

風車屋の旦那は、先程小次郎から受け取った一文銭五枚を
いまだ掌でじゃらつかせていました。
それを、銭入れに上からひとつずつ、落としてゆくと、
するはずの、ちゃらんという音が、やっぱりそこには響かないのでした。

“……こいつぁまた。
逢魔ヶ刻たぁ、まんざらでまかせでもねぇ、って訳か。
にしてもここぁ、稲荷の社だ、なかなか勇気のある奴じゃあねぇか。
ま、損はしたが、お衣沙(いさ)への、いい土産話にもなるって事よ。”
く、と、呆れたように、風車屋の旦那は笑みを落とします。


「うっそだぁ。おとうってば。」
「本当だってばよ。何の因果で我が娘に嘘つかなきゃなんねぇ。
ほら、これ見てみな。」
綺麗に梳いた黒髪を、さらりと揺らせて
頬っぺの赤いお衣沙が、ちいさな手に取ると
それは乾いた桑の葉、五枚に全く違いはないのでした。
「こいつを一文銭五枚に化かしやがったんだぜ。」
お衣沙は、どこかに仕掛けでもないかとあなぐるように
五枚の桑の葉っぱを、あちらに透かし、こちらにかざして見ています。
「だって、どうしてたぬきなの? おいなりさまのおやしろなのに。」
「そんなこたぁ知るかよ、とにかく狸だったんだ。」
「まぁた、おとうってば、みまちがえたんだ!」
「狐と狸の尻尾と云やぁ、鰻と鯖程も違わぁな。
そいつをどうやって見間違えろってんだ。」
「だって、ほんとうにしっぽだったの?」
「あぁ間違いねぇよ、慌てふためいて、
思わず着物の尻から覗かせやがった。」

ん〜……、と、お衣沙は小首を傾げます。
その仕草を見つめる風車屋の旦那と云えば、まさしくもう、
目に入れても痛くないとはこの事とばかりの表情です。
「だって、じゃあ、どうしておとうがだまされたの?
おかぁがいつも言ってるよ、たぬきもきつねも人を化かすけれど、
こちらが悪さをしないかぎり、むこうからは何にもしない、って。
おとう、たぬきに悪いことしたの?」
さぁそれよ、と言わんばかりに、
風車屋の旦那は、言の葉の調子を落とします。
「……そいつがまるで、覚えがねぇんだよな……。
実のところ、あれからずっと其処がひっかかっているんだが。」
「じゃあさ。たぬきにじゃなくても、何か悪いことしたんじゃないの?
きっとたぬきがそれをせいばいしに来たんだよ。」
「なぁんだって俺が狸に成敗されなきゃなんねぇんだ。
俺ぁこう見えても、お天道様に顔向け出来ねぇような真似は……
そうだな……ガキん頃に、こう、地蔵様の供え物をちょろっと……
まぁ、まぁ、そんな程度だぜ?」

「あんたと来たら。まぁ呆れるよ、こんなちいさな子供相手に。
さぁ、夕餉の用意が出来たよ、馬鹿な話はもう止して、
お衣沙、お膳を手伝っとくれ。」
「はぁい。」
風車屋の旦那のお上さんの横槍が入って、狸のお話はこれでお仕舞い。
代わりに、湯気のたちのぼる、温かい食事の始まりです。
「やぁ、こいつぁ旨そうだ。」


「小次郎、約束は覚えているね。」
「うん、にいちゃん、ほんとうにありがとう。
ぼく、かざぐるまと一緒に一晩過ごせて、
ほんとうに嬉しかった、ほんとうにしあわせだったよ。」

実際にそうであったのです。
小次郎は、一晩中、両の前足に挟ませ持った、
かざぐるまを眇つ眺めつ、
顔の真ん前に持って来てはふう、と、そこに息を吹きつけたり、
短い前脚を出来る限りに伸ばしては、夜風をたっぷり受けさせたりと、
それはそれは、大変な喜びようであったのです。
「じゃぁ、お陽様の上がる前に、一緒に持って行こう。」
「うん……でも……。
これ、女の子のかざぐるまらしいんだけど……いいのかな。」
くす、と、小太郎は優しく微笑みます。
「ぼくたちに色は識別できないからね。仕方のない事だ。
そんな事、気にしやしないさ。」
「そうかな……そうだといいんだけど。」
「大丈夫、”誰も”、気にしないよ。」


“あんの仔狸。やりぁがる。”
ここの秋祭りに店を出す為、通り来た山道の野辺に、
確かに一体の地蔵様があった筈……。
お衣沙と話したその後に、ようよう思い出した風車屋の旦那が
一晩明けるのを待って来てみましたならば、
そこには見間違えようもない、我が手による紅藤色のかざぐるまが
からから、からからと、
秋風にまわって音を響かせているではありませんか。

呆れたような微笑みを顔に乗せて中腰になり、
用意して来た餅と果物を供えて、
さて重なったかざぐるまをどうするかと、地蔵様をじっくり見ますれば
そこには消えかけたような『与一』の文字が浮かび彫られています。

“与一……こいつぁ、十一番目に生まれた男児の呼び名だ。
転じて多すぎるガキの数……男も女もねぇ……。
つまりは間引いた、数知れぬ子供達、赤子達、その鎮魂の役目を
この地蔵様がずっと担って来た……ってぇ訳か。”
風車屋の旦那は、持ち来た空色のかざぐるまを
地蔵様の横の土に突き立てて、
そうして深く深く、掌を合わせます。


からから、からから。
紅藤色と空色のかざぐるまが、
秋の、凛と涼やかな風受け、 共にまわります。
高い空へと、音が駆けのぼってゆきます。
その音に、呼応するかのように、
蒼天を悠然と飛ぶ、鳶が一声、ひょろぉ、と、啼きました。